比較論

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朴正煕大統領が、KCIAの責任者で、古い友人で側近の部下だった人物によって、1979年10月に殺されました。その翌年に、再びソウルに参りました時に、ある韓国の知人が興味深い話をしてくれたのです。朴大統領と田中角栄首相の「比較論」でした。

『韓国人は、正しく生きてる時には命をかけてでも仕えていくことができます。ところが一旦、不正を行なっていることを知ると、手の平を返すように反逆するのです。日本では部下と上司の繋がりというのは、人と繋がっているのです。良くても悪くてもかまいません。正しくても正しくなくてもいいのです。にその人の行いや考え方というのは構わないのです。田中角栄が不正を行なっても、部下が、その不正を糾弾することはありません。ところが朴大統領に不正が露見した時に、黙っていることができずに、銃を手にとって売ったて、制裁を加えたのです!』とです。

この方が言われたことが事実かどうかよりも、彼は日本人と朝鮮民族の違いを語られたので、大変興味をそそられたのです。明智光秀と織田信長との一件を思い出させられる話であります。私たちは、『◯◯先生のことだから、少々の失敗をしても、まあ仕方が無いか!』と思ってしまうのでしょう。人脈とか派閥といった強い絆に、太い感情のパイプでつながっているからです。朝鮮民族のみなさんは、「正邪」、「良悪」と言った規準で人とつながるのだということを学んだわけです。

韓国から日本に働きに来ていた方が、ときどき遊びに来たことがありました。彼の嫌いな日本人はだれだと思われますか。親日家の彼は、そういったことをダイレクトに言う方ではなかったのですが、ある話しの中で、『豊臣秀吉です!』と言ったのです。彼が問題としてこだわっているのは、秀吉の「朝鮮出兵(文禄の役)」の一件なのです。この事件が起こったのが、1592年3月のことでしたから、400年も前のことになりますが、韓国の青年たちは、この歴史的な屈辱を教えられているのですね。

国内統一の後は、近隣諸国を支配下の置こうとした、秀吉の「野心」のなせる業でした。ソウルの大学を卒業して、日本に事業のためにやってきて、ときどき、キムチを作ってくれた彼でしたが、日本人の中に赦すことのできない人物がいる、そう言った隣国の歴史的な感情を、今の私たちは理解しないといけないのではないでしょうか。「竹島」の問題も、歴史をしっかり学ばないでは、話し合いをすることができないのだと思います。

(図は、1959年に15万もの兵を出兵させた「文禄の役」の様子です)

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