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私たちの国の詩には、七五調で詠んだものが多くあります。現代の様な口語体ではなく、文語体の文章によくみられました。その筆頭は、「万葉集」にある和歌でしょうか。私たちが住んでいる栃木に、「三毳山(かもやま)」があり、この山にちなんだ和歌が、万葉集に収められています。ここに古代に敷かれた「東山道」の関所が置かれていたそうです。
しもつけぬ みかものやまの こならのす まくはしころは たかけかもたむ
〈漢字入り表記〉 下野の 三毳の山の 小楢のす 目(ま)細(ぐは)し児ろは 誰が笥(たがけ)持たむ
〈意味〉 下毛野国の 三毳山の コナラの木のように かわいらしい娘は だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな 私の嫁になるのだ)
どなたが詠んだのかの記録はない和歌ですが、下毛野に住んでいる若者なのでしょうか。これほどの文才や表現力があったのですから、教育を受けた人であったことでしょう。詠み人は、人の行き来の多かった地だったでしょうから、都からやって来た、若い役人だったのかも知れません。この里のみめ美しい娘に恋心を抱いて、そう詠んだのでしょうか。
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古来、日本人は、この七五調の表現を好んだ様です。詠む人も、それを読む人も、聞く人も、強く印象付けられたからです。明治になって、信州から東京に出て学んだのが、島崎藤村でした。木曽の村の庄屋の子で、子どもの頃には、お父さんから「論語」などを学んでいたそうで、東京に出てから、今風の進学予備門に学んだ後、明治学院の本科で学んでいます。
この藤村が、「惜別の歌」を詠みました。
遠き別れに 耐えかねて
この高殿に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ
別れと言えば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな
君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
君がやさしき なぐさめも
君が楽しき 歌声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ
詠んでも歌っても、見事な七五調が際立っている詩で、文語体の文章で、日本語の美しさ、簡潔さを知ることができます。この歌を、よく歌っていた級友がいました。卒業して、結婚式に呼ばれて、一度、新婚世帯を訪ねたっきりです。どうしていることでしょうか。
これからの季節は、涙や笑いや、様々な感情の交錯する季節ですね。「別れ」があり、「出会い」や「再会」が、私たちの人生にはありますが、この時候の行事がまもなくやって来ます。バス停で止まったバスの中から見掛けたと言って、わざわざ降りて、懐かしい顔を見せ、どうしてるか語り掛けてくれた、何年も前に教えた教え子がいました。けっこう満員電車の中で、背中合わせになる人の中に、懐かしい人がいるかも知れません。
家内と二人が、お隣の国で13年の間過ごさせて頂き、素晴らしい出会いがあり、そんな人たちと別れて帰国して7年になろうとしています。その間、私たちの激励者であった宣教師さんが、先週召され、昨日告別式があり、息子に代理出席してもらいました。
家内の母が、アメリカから来られる宣教師さんご家族に同行し、一才だったその方をおんぶして羽田に降り立ったそうです。宣教の奉仕をして駆け抜けて、59歳で、天におられる父なる神のもとに帰られました。親子二代でお交わりがあった方との「別れ」でした。Zoomで式に参加し、家内は泣き続けていましたが、この方への感謝に溢れていました。夫と父とを送られたご家族、そしてお母さまと兄弟姉妹に、主の慰めを祈りました。
(ウイキペディアの三毳山、中山道馬籠宿、Jさんが誕生されたアラババマ州に咲く百合の花です)
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