美しい日本語に接してきて

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「操作」、デジタル大辞泉によりますと、
読み方:そうさ
[名](スル)
1 機会などをあやつって動かすこと。「ハンドルをーする」「遠隔操作」
2 自分の都合のよいように手を加えること。「株価をーする」「帳簿をーする」
とあります。

 誰かが、または何かの団体や国家や組織が、ある目的のため、奸計を行うために、故意に、意図的に圧力をかけて、世の中の動きを Control してきているように、最近、思えて仕方がありません。「特別警戒」と言って、NHKがニュースで言い始めて、それで日本中が大慌てを起こしてしまったのです。観光地の宿泊キャンセルがたくさんあったほど、大きな影響がありました。

 言葉を伝えるマスコミで、文字や言語の中に、以前とは違ったものを感じてなりません。情報に伝え方です。それでなくても、この数年の砂漠の様な、夏の暑さに見舞われていたのにです。専門家が大慌てしてしまった煽りで、社会不安を生んでしまったのです。緊急なことは、もっと注意深く発信して欲しいのです。

 日頃感じていることですが、その一つが、ニュースなどの言葉に、カタカナ語が濫用されていることです。辞書を引かないと、意味がわからない表現が多くなっていることです。もしかしたら、意味をぼかして伝えようとする意図が感じられてならないのです。厳粛さが伝わらないようにしている様に、パニックが起こらない様にと、何か操作が感じられてなりなりません。

 美しくて、意味深調な表現のできる日本語があるのに、日本語を使わないで、とくに英語、たまにフランス語が、カタカナ語、たまにはドイツ語で書かれ、語られています。今は、ニュース原稿や、官庁のコメントなどを作成する文書方が、若い人が担当されているのでしょうか。その書き上げた文書を、点検する機能が働いていないのではないかと勘ぐりたくなります。

 英語には、nuance(ニュアンス)の違いだったり、at、on、for、inなどの助詞をつけたりすると、意味が全く違う場合が多いのを学んだのを思い出します。そんな戸惑いを覚えながら、中学生になってから、英語を初めて学んだ日を覚えているのです。その担当をされたのは、高等部の教師で、私たちが三年生になる頃は、有名な大学に、フランス語教師として転身されて行かれました。

 英語が、こんなに豊かな表現をしているのに驚かされ、そんな風にしての学習も楽しかったのです。そればかりではなく、国語の担当教師が、一人は僧侶で、教科書を教えてくださり、もう一人は、特別講義をされた高校3年の担任の先生でした。「奥の細道」の小冊子を買って、それを教科書にして学んだのです。文語体、古い日本語を学ぶために、素読しました。その文章の簡潔さ、言葉の重さを感じて、私は、すっかり虜にされたのです。

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『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。』

 『なんと美しい言葉、文章なのだろう!』と驚き、芭蕉と曽良の旅姿が想像でき、その旅先に行ってみたいと思わされたほどでした。そんな心打たれた中学一年生だったのを覚えています。まだヒゲが生える前だったのに、気分は、もう高校生になったような不思議な気持ちでした。

 自分の国の国語を、もっと大切にして、誇るべきではないでしょうか。英語への憧れは、大谷翔平ではありませんが、やめた方が良さそうです。家庭の中で、歯切れの良い父の語る言葉、母の穏やかでやさしい表現の言葉で育てられたのです。日本人は、受け継いできた文化や習慣や言語に、もっと自信を持つべきだと、仕切りに思うのです。その上で、諸外国語に慣れ親しんでいったらいいのです。元禄二年八月十六日、敦賀で次の句を、芭蕉が詠んでいます。

寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋

(ウイキペディアによる芭蕉の旅立ち、葛飾北斎の描いた芭蕉の旅姿です)
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