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日本海を渡ってくる大陸の風が、越後の山並みを超えて、北関東に運ばれてきて、頬をなぜる風は、まだ冷たく、陽の光と相争うかのように感じられます。それでも三月になりますと、大平山の木々の芽がふくらんできていて、何か山肌がもくもくしてきているようなのです。
この季節になると思い出すのが、北宋の詩人、蘇軾の「春夜」の詩です。
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜
[読み]春宵一刻(しゅんしょういっこく)値千金(あたいせんきん)
花に清香(せいこう)有り月に陰(かげ)有り
歌管(かかん)楼台(ろうだい)声(こえ)細細(さいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜(よる)沈沈(ちんちん)
[和訳] 春の宵の一刻は千金に値するほど素晴らしい。花は清らかな香りを放ち、月はおぼろに霞んで見える。歌声や笛の音がにぎやかだった楼台も今は静まり、かすかな声が聞こえるだけで、乗る人もないぶらんこのある中庭に、夜はひっそりと更けていく。
「春宵」と言うのは、宵の口のことではなく、深夜なのだそうです。日が沈む頃から、時が経つに従って、「夕」、「暮」、「昏」、「宵」、「夜」と呼び方が変わるのだようです。「一刻」は十五分、その「値」は千金に匹敵するほどだと言うのです。
庶民には、そんな感じ方はなかったのでしょうけど、蘇軾は、開封(Kāifēng)の街の大きな高級官吏の邸宅に住んでいた、若い頃の満ち足りた環境の中で、更けていく夜を、心地よく感じているのでしょう。
それにひきかえ、同じ春を感じ、春を詠んだ、旅の途中の恵まれない境遇の唐代の詩人、杜甫の「春望」は、杜甫自身の境遇を読み取ることができます。
国破山河在 城春草木深
感時花濺涙 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵萬金
白頭掻更短 渾欲不勝簪
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[読み] 国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり)
城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし)
時に感じて 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじて はなにもなみだをそそぎ )
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんで とりにもこころをおどろかす)
烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり)
家書 万金に抵る (かしょ ばんきんにあたる)
白頭掻いて 更に短かし (はくとうかいて さらにみじかく)
渾べて簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす)
[和訳] 国都長安は破壊され、ただ山と河ばかりになってしまった。
春が来て城郭の内には草木がぼうぼうと生い茂っている。
この乱れた時代を思うと花を見ても涙が出てくる。
家族と別れた悲しみに、鳥の声を聞いても心が痛む。
戦乱は長期間にわたって続き、家族からの便りは
滅多に届かないため万金に値するほど尊く思える。
白髪頭をかくと心労のため髪が短くなっており、
冠をとめるカンザシが結べないほどだ。
同じ春を、時代、年齢、場所によって、人の感じ方は違うのでしょう。二十一世紀、まだ平和な日本、北関東は、蝋梅の花の香が漂い始めたそうで、名のみの春ですが、それでも香りや声を聞く身には、好ましい季節の到来です。月末になると、桜が開花し、新入生が入学をし、新人が入社をしていくのでしょう。そんなことが、遥か昔に、自分にもあったのを思い出しております。杜甫ではありませんが、まさに人生は旅であり、旅する私であります。
(図書館への道に昨日咲く梅の花、ウイキペディアによる古き開封、現在の西安の一廓です)
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