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「獅子の子落とし」ということばがあります。百獣の王と言われる雄獅子は、タテガミを持って、威風堂々としています。草原に伏す姿には威厳があるように見受けられますが、無敵とは言えそうにありません。巨体のカバや小ライオンを狙うハイエナは、獅子の天敵なのです。泰然自若のような外観でありながら、意外と繊細な神経を見せる動物だそうです。
この「子落とし」の話は、「太平記(十六)」に記されている故事によるそうです。「獅子は子を産んで三日を経る時、万じんの石壁より母これを投ぐるに、その獅子の機分あれば、教へざる中より身を翻して、死する事を得ずといへり」とあります。私たちの知ってるライオンとは違っていて、架空の動物を言うようです。
厳しい子育てをする親を見て、「獅子の子落とし」と言って揶揄することがありそうです。そんな古事から、厳格な親の仕打ちを受けた人も、多くいそうです。
お世話になった宣教師さんに、二人の男の子がおいででした。この方は、お子さんを、spank (尻をベルトやヘラで打って規律したり、教えるのです)していたのです。それには、聖書的な根拠がありました。その根拠となったのが、次の聖書箇所でした。
『子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。(箴言23章13〜14節)』
ユダヤの社会の子育てに、そのような規律の方法があったのです。鞭を打たずに、規律されなかった子は、長じてから大きな問題を起こしていくようです。だから、鞭で規律するのは、黄泉の滅びからなのだと聖書は言うのです。
礼拝中に、幼かった長男が、我儘だか短気を起こしたことがあって、それを見た宣教師さんが、『準、今は、彼を spank する時です!』と言われ、母子室でそれを実行してから、四人の子どもたちの尻に、愛の鞭を当てて子育てをしてきたのです。我儘と短気と不従順を取り扱ったのです。打つ親の怒りからではなく、平静な気持ちを鞭を振ったのです。
こんなことを思い出しながら、ブログを書いていましたら、エホバの証人の子どもたちへの鞭打ちの虐待の問題が、にわかに騒がれ始めました。それと、一緒にされたくはありませんが、過度であったり、教理的な規律や命令であってはいけません。聖書的であること、愛に基づいていて、親の確信があるのなら容認されると、今でも思っています。親の拳骨が子どもの頃にあり、先輩のビンタの規律が、私の若い頃にはあって、それで矯正されたので、今がありそうです。
子どもたちが長じて、何でも親に言えるようになった時に、不評でした。あの時々の私の確信は、それ以来、少々揺らいで、今日に至っているのです。一番スパンクの数が多かったのは、長男でした。15歳で親元を離れて、友人牧師のお世話で、ハワイの高校に入学したのです。home stay した先で、〈他人の飯を喰う〉経験をし、その学校を卒業しました。
それから、アメリカの北西部の大学に進学したのです。え卒業後は、ハワイの教会のスタッフになり、礼拝の通訳奉仕や教会の必要のために仕えたのです。そこで神学校に通い、献身し、牧師となっています。
まあ若かった日の確信が、歳を重ねてきた今になって、その頃を思い返しますと、揺らぎますが、あの時の確信は正しかったと思うのです。子育て中に、愛を基本にしていたことが分かったのか、長男は、『僕に取ってのスパンクはよかったです。ただ多過ぎたかな。』と、大人になって言ってくれました。
私の明治生まれの父は、たまに拳骨を使いました。中学に入って籠球部(バスケット)に入ったら、OBからビンタをもらい、上級生から殴られたのです。それも規律の内でした。男っぽさだったかも知れませんが、戦後でしたが、まだまだ私立の学校では軍隊調が闊歩していた時代だったのです。
「可愛い子には旅をさせよ」、家内と私は、決心して子どもたちに、旅をさせたのです。長男と次女は、中学を出て、ハワイの高校に送り、次男は、新潟の高校に、ハワイにも送りました。長女は、県立高校を終えて、東京の学校に進学していきました。そのように子どもたちを、旅に行かせて、親としては寂しかったですが、自立に追いやった点ではよかったと思っています。まんざら、彼らの子ども時代のスパンクは、虐待であったなどとは言えません。
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