『こんなにウマイもんがあるのか!』と、子どもの頃に思った物が、3つほどありました。1つは、東京の国鉄・神田駅前にあった鰻屋の鰻、2つは、肉の万世のカツサンド、3つは、横浜駅で売っていた崎陽軒のシュウマイだったでしょうか。
まだレストランとかは、私たちの育った街にはありませんでした。蕎麦屋が2軒、パン屋が一軒ほどあったでしょうか。そんな頃、時々、父が、お江戸から買って帰って来て、『さあ喰え!』と言っては、食べさせてくれたのが、上の三つでした。
後になって、母は、カツを揚げたり、餡かけのカタ焼きそばを作ってくれたり、ハンバーグをフライパンで作ってくれたり、色いろんな具材を混ぜたちらし(ばら)寿司などを作って食べさせてくれました。あの時代、時々でしたが、けっこう贅沢な食卓だったのかも知れません。食べている四人の顔を、母は満足そうに眺めていたのです。
その上、自分の会社のあった東京から、食パンに、みじん切りにしたキャベツをのせたソース味のサンドイッチを買ってきてくれたのです。だからでしょうか、今でも、パン屋に行くと、カツサンドが目について仕方がなく、たまーに買ってしまうのです。あの味には比べられませんが。
また、串に刺して炭火で焼いた鰻を買ってきてくれ、炭火で焼き直して、丼のご飯の上にのせて、タレとサンショをかけて食べたのです。今、この住んでいる街の南に、有名な鰻屋があるそうですが、完全予約で、〈お重8800円〉だそうで、とても手が届きませんし、まあまあの庶民の贅沢だった物が、高級ステーキ並みになっていて驚きです。でも、この鰻は、入院中に父に頼まれて神田の昇亭まで行って買って、父に届けたことがありました。同室の方に頭の方を上げて、自分は尻尾の方を食べていました。あの後、すぐに父は召され、父の最後の鰻だったのです。
もう一つは、崎陽軒の焼売(しゅうまい)です。陶器の醤油差しがついていて、からし醤油で食べたあの味は、高い物ではないですが、抜群に美味しかったのです。何個入りだったのでしょうか、きっと母の分を残さずに食べて、自分が一番多く食べて、みんなに嫌われていたのでしょう。それは、競争社会の中で生き抜く逞しさでは、どうもなさそうでした。
蛇足ですが、崎陽軒の創業者は、餃子の街・宇都宮に近い鹿沼の出身だそうで、なにやら、ここでは焼売で町興しがなされているのだそうです。48もの食堂などが、シュウマイを出してくれる、〈焼売地図〉まであります。しばらく、カツサンドも鰻も焼売も食べていないのです。そういえば、《食欲の秋》の到来、ちょっと唾液腺が動き始めてきているようです。
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