咲いた花に慰められて

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 『人の日は、草のよう。野の花のように咲く。 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、(詩篇103篇15~17節)』

 やっと朝晩は、凌ぎやすくなったといいますか、エアコンを使わずに済むようになって、ホッとしてきたようです。今日は、出先で携帯電話が鳴ってとりましたら、朝医院に出掛けた家内からでした。知人が、『オタクの方で火の手が上がってるのが見えますが、大丈夫ですか?』と言って来たと言うのです。家内が一人で、駅近の医院に出かけ、その後で自分が家を出たので、『火の元を確かめて安全を確認して出たから大丈夫!』と応えたのですが、心配になって、バスでなく電車で家に帰って来たのです。

 家内はもう家に帰って来ていたので、一安心でした。40年以上前に、住んでいたアパートでガス爆発で、大変な目にあったので、その時のことを思い出して、なおのこと心配でした。火元にはならなくても、貰い火になる可能性だってあるのですが、気を付けようがないのです。世相が慌ただしいので、心配事が起こりかねません。

 そんな時、ベランダや家の中で咲く花に目を向けると、なんとも安心がやってくるのです。花のいのちは短く、美しさも束の間です。それは花に託された使命なのです。でも、種を宿して来季の再生をもたらすのは、奇跡的な創造主の御業なのです。花を見て思うのは、いつも主の祝福があり、何があっても慌てることはないということでしょうか。それでも、気遣ってくださる方がいるのは感謝なことです。そう注意深く過ごすのも必要です。

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