一昨晩は、閃光を放つ雷光と天を揺り動かすほどの雷鳴があり、少々寝不足の昨日でした。それで、栃木市立図書館から、「雷をひもとけば(新藤孝敏著/電気学会刊)」を借り出して、読み始めています。
古来、「雷神」と恐れられ、「神鳴る」を語源だとされてきました。「雷」の光と、つんざくような音を聞きますと、思い出すのは、アメリカ人の Benjamin Franklin です。『雷は神ではない!」と言って、それを「電気」現象だとして実験し、「避雷針」を発明していることを、小学校の授業で学びました。1752年6月22日に、彼の実験は、小屋から、棒を立てて、その先端に金属片を置く方法ではなく、金属針を凧につけて、雷雲からの放電を得ようしたのです。
放電があって、突然タコ糸が毛羽立ったのだそうです。息子さんのウイリアムと一緒に実験をしたのを聞いて、この科学する人は、家庭の人でもあったことを知って、なんか安心したのを覚えているのです。
後になって、雷の実態が解るようになってから、その時のフランクリンの実験は、実に危険だったのです。落雷が針の上に落ちていたら、糸を手にしていた彼は、即死していたと考えらえています。同じように実験中に、雷に打たれて亡くなられた科学者もいたのです。
私たちは、学校でフランクリンの業績は、雷実験をした科学者と学んでいますが、アメリカでは、政治家としての業績が大きく、あの「独立宣言」の起草者、合衆国憲法の制定の制定に関わって、合衆国の建国時への貢献は、大変大きく、「建国の父」だった人です。
『青年よ。私からの忠告は、聖書への知識と堅い信仰を深めることだ。なぜなら、これはあなたにとって確実に有益だからだ。』と言うことばを残しています。
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日本でも雷で有名なのは、平賀源内で、「えれきてる」と言う電気の外来語の日本語表記に関わった讃岐の人です。江戸期の発明家ですが、この源内の友人の杉田玄白に、『あゝ非常の人。非常の事を好み。行いこれ非常。何ぞ非常の死なる。』に言わしめた人だったのです。
伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ
これは、「万葉集」におさめられた、「雷」を詠んだ和歌で、隣県の伊香保の山嶺に響き渡る雷鳴や、きらめく雷光は印象的だったのでしょう。この上野国や隣の下野国は、この雷で有名で、宇都宮は「雷都」と言われています。
八王子に富士森公園がありますが、そこに車を止めて、しばらく大きな木の下で、休んでいたことがありました。雷鳴が鳴ったので、車に戻って公園を後にしたのです。その木に落雷があって、どなたかが亡くなったと、後で聞いたのです。すんでのところで、感電死をまぬがれた学生だった私は驚きました。
ある方は亡くなり、またある方は生き延びます。フランクリンは生きて、別の科学者は命を落としました。そんなフランクリンも、84歳で亡くなり、この私もいつか死にます。神の国に貢献したり、社会にとって有益だから、その人は長生きをし、そうでないから短命だとは結論できません。全ての人の生と死の時を定められる、創造主なる神さまがいらっしゃるのです。それゆえ、神さまは畏れられるです。
私は、《雷好き》で、あの雷光を見、またゴロゴロと鳴る《雷鳴》を聞きますと、スカッとするのです。とくに大陸で聞いた雷鳴は、言いようもなく dynamic だったのに驚かされました。お腹の底で響くような感覚が好きなのです。いつか、《雷三郎》と言うpen name にしたいと考えているほどであります。
(フランクリンの凧揚げ、雷光です)
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