全世界に出ていきなさい

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 『他人から見て、ここが安全、現実的、可能、賢明だと思えること以上のことをしたい。私は、成功にではなく、従順に召されました。イエスを知り、イエスに従うことが最高の喜びです!』と、米国サウザーン・バプテストのイラン宣教師のカレン・ワトソンが言いました。彼女は、2004315日、母国に帰ることなく、イランから天の故郷に帰って行きました。殉教の死を遂げたのです。38才でした。

 二十世紀は、「福音宣教の世紀」だと言われて来ました。もっとも多くの宣教師が、世界中に出かけた世紀だと言うことになります。ハドソン・テイラーのように、多くの教会を建て上げ、おびただしい数の献身者を輩出し、何百と言う協力者を得て働きを拡大した方もおいです。でも、そのような成功的な働きの影で、『ただ一人の回心者を得るために!』と願って、灼熱の地に、酷寒の地に宣教された方が多くおられたことを忘れてはいけません。

 エスキモー伝道をされた宣教師は、長い間伝道をしましたが、誰一人救われませんでした。ある時、エスキモーの命の糧である、鯨が不漁で、一頭も捕れませんでした。切羽詰まったエスキモーたちは、その宣教師に、『鯨が取れたら、お前の言うキリストを信じる!』と言いました。それでも鯨は取れなく、怒ったエスキモーたちは、宣教師を断崖から突き落として殺してしまったのです。

 その死骸を見にいくと、その宣教師の横に、一頭の鯨がいたのです。それでエスキモーたちは回心していきました。何1つ励ましになることを見ないで、その宣教師は天の故郷に帰って行かれたわけです。ところが、この彼の死が、エスキモーの中に「リバイバル(信仰覚醒)」をもたらすことになったのは、神さまの方法だったのでしょう。

 この地上で数限りないほどの、主にある男女が、宣教の途上で召されて行きました。この地上で一番、宣教の難しい地域を上げるなら、アラブの国々だと言えます。「力の宗教」、「戦闘的な宗教」であるイスラム教は、イエスさまが宣べ伝えるように言われた「福音」を受け入れるのが、最も難しい宗教的背景を持っていると言われています。イスラム教徒が、回心してクリスチャンになるには、死の危険が伴います。

 私たちが日本の歴史で学んだ、キリシタンバテレンの「宗門改め」の行われた徳川幕府の時代に、日本人がキリシタンになることが、どんなにリスクの高いことであったかを知らされます。『日本人への伝道も実に難しい!』と思えます。みなさんや私が、救われてクリスチャンにされたことを考えますと、その難しい地で、主に遣わされて宣教に励まれた宣教師のみなさんに、心からの感謝を覚えるのです。

 中国宣教は、” China in land mission “ で宣教活動をしたハドソン・テーラーや海岸部を宣教したイギリスの聖公会の働きの実が、共産革命後も残り、どんなに迫害されても、クリスチャンを抹殺できませんでした。私たちが会った非合法の信仰者たちの中には、六代、七代のクリスチャンがおいででした。まさに、聖霊は無神論の国でも働いておいでなのです。

 カレンは、安全な株を買いませんでした。『成功することよりも、従順を!』と願ったのです。ですから、最も困難な道を選んだことになります。その困難さの中で、『イエスさまを、もっと知りたい!』と願ったわけです。こう言ったスピリットがアメリカの教会の中には、まだ脈々と残っています。

 『アメリカが崩壊しないのは、海外宣教にお金を費やしていることだ!』と、上院のチャプレンが言われましたが、目に見えるものを生み出すための拠出金ではなく、『一人の回心者を得て、主に栄光を帰す!』ために、アメリカの教会の良心が、今もなお動き、献身がなされているのであります。二十一世紀の福音宣教は、アジアの教会の出番だと期待されています。日本の青年たちよ、『全世界に出て行き・・・福音を宣伝えなさい」との主の声を聞きなさい!

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