近所付き合いを

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 私は、「世捨て人」ではありません。25から、真剣に聖書を読み始めて、神さまは、この世に呑み込まれないで生きる様にと導かれ、自分でも目標を掲げました。

 それ以前は、押し寄せてくる誘惑を払い切れずに失敗者になってしまいました。そんな轍(わだち)からなかなか抜け出せずに、自己嫌悪の中にいたのです。上手く言い訳をしながら誘惑の中にいる生き方を、それでもやめたかったのです。それで、あるきっかけがあって、この自分の周りにある世界の日陰から、日向に跳び出せた様に感じたのです。

 妥協することなどしないで、「肉の欲、目の欲、暮らしむきの自慢(1ヨハネ21516節)」に誘惑されない秘訣を獲得できたのです。それは、第三位格の神でいらっしゃる、「助け主」という別名を持たれる「聖霊」に助けられたのに違いありません。それで浮き上がらない生き方ができる様にされたのです。それは驚くべき体験でした。

 世から、世の誘惑から抜け出られたのですが、世は捨てませんでした。そこには愛する人、よくしてくださる人、懐かしく感じる人が大勢いらっしゃるからです。一緒に酩酊することも、猥談や噂話の仲間にはなりませんが、彼らの近くにいることにしています。


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 引っ越して四年、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と連綿と続く、この地域の隣り組、自治会のみなさんがいて、今やこの自治会の「福寿会」の会員、仲間になっているのです。一緒に蕎麦を食べに行きますし、老人の日には祝金一封と赤飯をいただき、先月には山間(やまあい)の蕎麦店に行き新蕎麦を食べ、ラジオ体操会に参加し、この日曜日には、礼拝を守った後、午後には、「カラオケ交流会」に誘われて、「Amazing Grace」と「Holy Night」を家内と二人で賛美し、みなさんから喝采を受けました。

 孤立してしまわないように心掛けているのです。ミシン屋さんで電気も扱う、九十二歳になられる会長さんが、「愛燦燦(美空ひばり歌唱曲)」を、シミジミと若い頃を思い出すかの様に、マイク片手で俯きながら歌っていました。とても素敵な風景だったのです。お病気の奥様を支えながら、現役で車まで運転されて働いておいでだそうです。

 この方とお会いし交れるだけでも、何か意味のある時を共有できた感じがして満足しています。自分たちの生き方、信仰を明らかにしていると、みんさんに受け入れられているのかも知れません。婦人会の忘年会にも、家内は招かれて、出席するそうです。

(「室」と印字された提灯、近所に咲く花、夕焼けで富士も見えます)

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