栃木駅前から、目抜き通りだったと聞き、この3年ほど、散歩や買い物で通っている「みつわ通り」や「銀座通り」は、まるで休眠状態の商店や、住まなくなった民家が、ずっとそのままでした。一昨年の巴波川の氾濫があってから、一軒一軒と取り壊されて、さらに歯抜けのような状態になってきています。この辺りの住民は、栄えていた時代を知っていらっしゃるので、その寂しさは一入だろうと思ってしまいます。
ところが、最近は、その更地で新築される工事が進んでいて、その槌音がよく聞こえるようなってきています。街というのは、何代も何代も住み続けるのかと思うと、どうもそうではなく、処分されて売られ、新しい人たちが住み始めて、新しい街になっていくのでしょうか。『この辺は、昔・・・』と言い出す人たちも、だんだんいらっしゃらなくなっているのです。
ラジオ体操仲間で、昭和初期にでも建てられたのか、時代を感じさせる一軒の理容店の主人がおいでです。石灰石の産地の鍋山辺りの出身のお父様の代に、この街で開業されたのだとお聞きしました。多くの街の人の頭を刈り続けて、今日まできておいでなのです。先日、その前を通ったのですが、店から、なにやら色々な箱が運び出されて、店の脇に置かれていたのを見て、いよいよ廃業されるのかと思ったのです。ところが、一昨日、散歩で店の前を通りましたら、あの理容店の赤青白の広告塔( Barber’s pole /赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しています)が回っていて、営業しておいででした。
この地で知り合った方が、『亡くなった夫も義父も叔父も、みんな髪を刈ってもらった床屋さんなんです!』と言っておいででした。職業柄、街の人の動きなどの情報を持っていて、この街で生き続けてきた顔なのでしょうか。近くに明治期から続く旅館があってたそうで、そのお嬢さんが有名な女優さんの実家だったそうですが、今は、コンビニに変わってしまっているようです。
そう言えば、ラジオ番組の担当者( personality )が、長い留守中に聞かなかったこともあって、いつの間にか代替わりしていて、ある方は、もう亡くなったと聞いて、時の移り変わり、街の移り変わり、人の移り変わりは、流れゆく川の流れのように、〈元の水、人、街にあらず〉なのだと、つくづく思ってしまいます。
もう何年もすると、『ああ、この辺りに、ちょっと変わった老夫婦が住んでいましたね!』とか言われそうです。いつでしたか、子どもの頃に、キャッチボールや追いかけっこをし、父ともキャッチボールをしていた道を通ったことがあっのですが、全くの様変わりで、記憶と現実の差の大きさに、寂しくも感じたことがありました。
生まれた家だって、50年前には、まだ建っていたのですが、その後に行った時には、傾いてしまっていました。最後に通った時には、跡形もなく片付けられていたのです。そんな同じ光景が、ここの街中に見られ、住む人も変わっていくのでしょう。『いたらしいですね。お嬢さんが近くに住んでおいでだそうです!』と、以前住んでいた人たちの様子が、朧げになっていってしまうのは、寂しくもあります。
江戸や明治の世には、人も物も噂も、賑やかだったのでしょう。巴波の流れを眺めていると、そんな時代の人がそぞろ歩く下駄の音や、舟に棹さす水音が聞こえてきそうです。私にとっては、まさかの栃木、それなのに地元民のように生活しておられるのが不思議でなりません。栄えた下駄屋さんの看板だけが残って、空き家になっている前を、今日も通りました。
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