夕と朝

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 『 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。(創世記15節)』

 初冬の朝晩、日の出と日の入りの北関東の空は、抜群に綺麗です。聖書は、夕があって、その後に朝があるという順序で書き記しています。暗くなる夜の到来と、陽が昇り明るくなる朝の到来が、人の世の移り変わりの順序なのでしょう。これまで明けなかった暗い夜はなかったのです。必ず陽の煌めく朝が来るからです。

 不安や恐怖の時代の只中で、人は楽観的なのか、困難さを考えようとしないでいるのか、けっこう、上手に生きられるのかも知れません。まだ貧しかった時代、欧米人が、日本にやって来て、庶民の生活を見て驚いたのは、〈お愛想(あいそ)笑い〉をする笑顔だったそうです。そのはにかむ様子を見せる日本人の笑いに、異質なものを感じたのだそうです。生きるのに厳しい状況下で、苦虫を噛み締めることだってできたのに、そうしないで、ヘラヘラと、ニコニコと笑えるのが、《日本人の特性》なのでょう。

 コロナの渦中で、仕事を失っても、食べ物がなくても、ドッコイ生きて行く法が、私たちには備わっているのでしょう。多くの人たちが、動じずに、静かに生きているのです。神を知っていたユダヤ人は、どんなに嫌われ、迫害されても、理不尽さや逆境の中で、望みを抱いて生き、そして死んでいきました。《神の顧みの日》が、必ずやって来るのを信じていたからです。

 『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ1633節)』

 同じく、神を知る、いえ神に知られている者として、明日に希望をつないで生きていける《基督者の特性》も、逆境に、真正面から立ち向かって、勇敢に生きられることを、代々(よよ)の基督者が証明して来ているのです。

 狡猾で、不可解なこの世の中で、イエスさまこそ、勇敢な一生を生き、十字架で死ぬことによって、宥めの供物の使命を果たし、死を打ち破って《甦られた》からです。今、父の右の座で、信じる私たちにために《執り成しの祈り》をされ、《助け主聖霊》を下さり、私たちを迎える場所を設けておられ、それが完成したら《迎えてくださる》のです。

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 義母は、終戦後の食糧難の時代、六人の子を養うために、自分の食べる分を削って子に与え、栄養不良で、「肺結核(肋膜炎)」に罹りました。そんな病いの中で、長女が手にして帰って来た、教会が配布した「ビラ(トラクト)を読んで、教会に跳んで行き、質問を繰り返した後、キリストの「十字架」の死、その死から蘇られたことを信じたのです。さらにキリストの「癒し」を信じて、癒され、102歳まで生きて、天に帰っていきました。

 私の母も、産みの両親のない養女の身の上の中で、幼い日にキリストを信じて、万物の創造の神、キリストの父なる神と出会います。その神を、自分の「父(アバ)」と呼んで、信頼して、従って生きました。48歳の時に「卵巣癌」で、余命半年を宣告されたのですが、

 『御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(ヨハネの黙示録2212節)』

の聖書を読んで、癒されました。それから元気に生きて、95歳で、同じく天に帰っていきました。その信仰を継承して、私も家内も四人の子も、その配偶者たちも、孫たちも、私の兄弟たちも生きています。それって、神の「憐れみ」なのです。多くのことのあった2021年も、祝福の中を生かされたのです。ただ感謝あるのみの12月です。

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