お殿様料理

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 江戸時代には、諸藩に、独自の教育機関である「藩校(藩黌)」がありました。米沢藩の「興譲館」、熊本藩の「済済黌」、水戸藩の「弘道館」などが有名です。平成から令和の時代になって、各藩のお殿様の子孫を集めて、第十八回の「藩校サミット」が、今年11月20、21日、お隣の壬生町の城址公園ホールで開かれました。

 壬生藩には、初代の鳥居忠英(ただてる)によって創立された学問所があって、後に「学習館」と呼ぶようになったそうです。今回、二十九名のお殿様の当主が参加されています。『 summit はないのでは!』、『背広姿もどうでしょう?』など、石高(こくだか)順に、雛壇の上に並んだのでしょうか。

 その趣旨は、『江戸時代に藩校で行われていた教育・精神を再認識し、現代に生かそう!』と言うものです。藩校での学びは、漢籍の中国の古典を学び、壬生藩では「朱子学(南宋の朱熹の教え)」が学ばれていたのだそうです。儒学の一派で、あの新井白石は、この教えの優れた師でした。

 朱熹の教えが、21世紀に当てはまるかどうかは、ちょっと時代錯誤なのかも知れませんが、日本の大学に「朱子学科」がないところを見ると、研究対象にはなっても、もう一度封建制度を導入することもあり得ませんから、研究主題にするのは好いかも知れませんが、若者に学ぶようには願いません。在華中、朱熹が過ごしたと言う村を訪ねたことがありますが、あんな山奥にいたのかと驚きました。

 それで、家内が壬生町の獨協医科大学病院に通院していますので、壬生ニュースが入ってくる機会が多いのですが、その中に、「壬生御殿様料理」、今年になったら「御姫様料理」が町内の食事処で出されるようになっているのだそうです。

 初代藩主が、徳川家康の竹馬の友だったからでしょうか、けっこう贅沢ができる豊かな藩だったのでしょう。日光東照宮に参内した将軍の江戸への帰り道の宿舎になった城ですから、残された献立表は御馳走だったことでしょう。

 その献立表をもとに、地元の料理人が作った料理だそうです。

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 このお殿様の食べた料理のことを考えていたら、米沢藩の藩主・上杉治憲(鷹山)のことを思い出しました。この方は、高鍋藩主の子でしたが、十七歳で米沢藩の藩主になっており、藩改革を断行しています。遊郭、女郎屋を領内に無くしたり、自らも謹んで生きたのです。先代の藩主に男子がいないことで、姫に婿入りしています。夫人は、房事のできない障碍を持っておられて、子を産めなかったので、ただ一人の妾を持って、後継を得たのだそうです。それでも正妻として、三十ほどで亡くなるまで、深く真心をもって、夫人を愛したそうです。

 上杉治憲は、絹ではなく麻布の衣服を着て、「一汁一菜」の食生活を常としていたそうです。農村改革もし、質素を旨として生き、三十代半ばで、この家督を子に譲って隠居してしまいます。1822年(文政五年です)に亡くなった時、その死を悲しむ領民の葬列が、領内に尽きなかったほどに、領民に慕われたお殿様でした。

(旬香の「お殿様料理」、「100年前の食事」です)

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