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 「満庭芳」   蘇軾  

歸去來兮
吾歸何處
來往如梭
待閒看
秋風洛水清波
好在堂前細柳
應念我 莫剪柔柯
仍傳語 江南父老
時與麗漁蓑

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歸りなんいざ
吾何れの處にか歸らん
來往は梭の如し
待ちて閒看せん
秋風洛水の清波を
好在堂前の細柳
應に我を念ひて 柔柯を剪ること莫かれ
仍ち傳語せよ 江南の父老に
時に漁蓑を麗に與へよと

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さあ帰ろう といって帰るあてもない 人事は梭のようにめまぐるしく移り変わる 願わくはこのまま 秋風洛水の清波を眺めていたいものだ

この堂前の細柳を見たら 私のことを思い出して 若枝を切ったりはしないで欲しい そして江南の老人たちには ときには我が漁蓑を日にあててほしいと伝えてくれ

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 宋代の詩人、蘇東坡(蘇軾)が、秋に詠んだ一編の詩です。中国暦・元豐七年(1085年)に詠んでいるのですが、五十歳頃の作です。その時、日本では、白河天皇の統治の世で、奥州では藤原清衡が、藤原三代の世を治めていた時代です。同じ秋には、疱瘡が流行ったと記録が残されています。

 2021年の日本では、昨年来猛威を振るった新型コロナが、秋風が吹くようになって、収束しそうな気配がしてきていますが、どうなるかははっきりしません。さらに第六波を心配する専門家もいます。流行病とか疫病とかは、そう珍しくないのであって、インフルエンザだって、この冬にはどんな勢いを見せるか分かりません。

 宋代だって、今のような医療体制のない時代は、もっと不安や恐れがあったわけで、疫病の研究者も特効薬もワクチンも全くなかったわけです。宋代の記録文書に、次のように記されてあります。

 『疫病とは、気候の異変や様々な人的要因により、急速に発症し、伝染力が強く、危険でパンデミック的な性格を持つ病気の一種です。 宋代には、腸チフス、季節伝染病、赤痢、痘瘡、風邪、疥癬、流行性耳下腺炎、牛や馬の伝染病など、一般に伝染病と呼ばれるものが約220件発生しました。 宋代には、腸チフス、伝染病、疫病が伝染力の強い伝染病として認識され、政府主導の伝染病対策システムが徐々に確立されていきました。』

 人類は、常に疫病と戦いながら、歴史を刻んできたことになります。蘇軾は、『秋風洛水の清波を眺めていたいものだ!』と願っていましたから、その年は、疫病の脅威はなかったことになります。今、散歩の途中、喫茶店の隅のテーブルの上の iPad に向かっていますが、300円ほどのコーヒーが、秋風と共に美味しく感じられてなりません。

 人生の秋、実りの時節だと良いのですが、任された仕事を終えた今は、どうしても秋なのかも知れません。また故郷がどこなのか、思い巡らしていますが、あの村は生まれただけで記憶がありません。物心ついた頃は、沢違いの山村で、父の仕事の事務所兼作業場の近くの貯木場、かつては石英の貯石場の近くに住んでいました。兄たちを追いかけて、木通(あけび)刈りに行ったり、栗拾いも行ったのです。父の仕事の索道で、熊や猪が、山奥から運ばれてきていた記憶があります。きっと食べたのでしょう。

 蘇軾は、自分の故郷に残して置いた、「漁蓑(りょうみの)」多分釣りをする時に、雨を避けるための蓑(みの/藁で作られた雨合羽)のことでしょうか、それを陽干しして置いてくれるように、釣り仲間に願っていたのでしょう。また故郷に戻って、日柄釣り糸でも垂れる時のためだったのでしょう。釣りは若い時に誘われて、夜明け前に着いた滝壺にはまって以来していません。後ろめたくなく、釣りのできる年齢になったかも知れません。

 もしかすると、蘇軾ならずも、秋は、人生の陽干しの時なのかも知れませんね。若い頃に仕舞い込んでおいたもの、引き出しや倉庫や押入、そして記憶の中に残っている様々なものを、引き出して陽に当てて、ポンポンと叩いて、埃を払ったり、湿気を取る時なのでしょうか。

(中国語のサイトに「宋代のスターバックス」とありました)

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