しみじみと

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 詩人で歌人でもあった良寛さんが、「戒語九十ヶ條」を残しています。「ことば」を大切にされた方でした。自分を生み育ててくれた両親の「言葉」を、《身に包んで生きよう》とした人だったそうです。自分の寺を持たずに、「五合の米」の布施を受けて生きていたのです。

 越後出雲崎に生まれ、越後に生き、越後に没しています。僧でありながら仏法を説かず、質素な生活をし、子どもを愛し、童心を捨てず、格言を語りながら、人はどう生きるかを語ったのです。そうする良寛に、人々は、格別な信頼を寄せました。生活と言葉が一致していた、言行一致の人だったからです。

 「語」と書いて「ことば」と、良寛は読ませています。どの様に気を付けて語るか、九十の「戒(いましめ)」をまとめて「戒語」を書き残したわけです。そのうち、十七を取り上げてみます。

 「ことばの多き」  言葉数の多さは聞く人を疲れさせ、『もう少しまとめて話して欲しい!』と思う話し手がおいでです。思い出すのは、ナチス・ドイツの攻撃の中で、“ Never,never,never give up !” と、イギリス国民に語ったチャーチルの言葉です。これほど簡潔で人を得心させた言葉はありません。

 「鼻であしらう」 人を人と思わないで、小バカにした冷淡な口ぶりの人がいます。相手の置かれた状況など全く考えないで話す人です。

 「口のはやき」  聞き取れないほどに、早く話す人がおいでです。内容は良くても、思いが通じません。話し言葉には抑揚が必要ですし、間(ま)が必要です。噺家の聴きやすさは、この間があるからに違いありません。

 「とわずかたり」  相手が聞いてもいないのに、聴きたいとも思わないのに、話してくる人がいます。ご自分だけが納得している話し手ってときどきおられます。

 「さしで口」  自分の立場や役割を弁えていないのでしょう、話をしている間に侵入してきて、話し出す人です。場所や空気を読めていない人です。
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 「手がら話」  自慢話のことです。ああもした、こうもしたと手柄を話したがる人がいます。人に褒めさせるのがいいと教わりました。

 「己の素性の高きを人に語る」  自己陶酔型の人がおいでです。家系や姓名を誇るのです。私は進化論者ではなく、創造論者なので、人類は、エデンの園で罪を犯し、楽園を追放された者の子孫だと思っています。でも、罪を十字架で贖ったお方を信じて、私が受けるべき裁きと死とを処罰してくださった方を信じて生きてきました。

 「人の物言い切らぬうちに物言う」  話の途中に、言葉を挟んで、話の主人公に入れ替わってしまう方がおいでです。いつも自分を中心に物事を考えてしまう人が、そうされます。

 「よく心得ぬことを人に教うる」  自分で理解してないことを言って、ついに支離滅裂になってしまう方です。何を教えられたのか全く分からず、思いの中に何も留まらないのです。

 「物言いのきわどき」  物騒なことや、危ぶまれる様な物言いをする人がおいでです。聞き手に恐怖を与えてしまう人の話っぷりを言うのでしょうか。

 「人の話の邪魔をする」  こちらが話し終わらないうちに、口を挟んでくる人がいます。上の空で話など、相手の語ることを聞いていないで、自分の言いたいことだけを言おうとする人です。

 「親切らしく物言う」  親切さを装って話されるのですが、その思いは非難だったり中傷であったりで、その動機が正しくない言葉の人がおいでです。

 「さしたることもなきことを細々言う」  そんなに重要でないことや、話題にも上がらない様なことを、根掘り葉掘りと細々と言う方がおいでです。

 「好んで唐言葉をつかう」  江戸時代に、おもなる外国は中国でしたから、唐言葉(中国の言葉)を得意がって使う人がいた様です。現代では、カタカナ語を得意がって使う人で、最近もある留学経験のある大臣が英語らしき語を言っていましたが、私にはチンプンカンプンでした。

 「悟りくさき話」  坊主でも伝道者でもないのに、説教風な話し振りをする人です。なんでも知っていると言う態度で、ご自分の悟りの高い境地から話をされます。

 「学者くさき話」  学識が多くて、難しい表現も好きなのでしょう、聞く人が学生の様に見えて、知識を披瀝する知ったかぶりの人です。

 「すべて言葉はしみじみというべし」  人の心を揺さぶる様に、感謝が湧き上がる様に話せたらいいなと思います。心と胸とを打たれる様な説教の言葉を聞いたことが何度かあります。上手だったのではありません。心がしみじみ(沁み沁み)とされる様な語り口で、内容でした。

 「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。(ヤコブの手紙3章6、8~10節)」

 話をする上で、どんな言葉を語り、どんな風に語るかは、実に大切なことに違いありません。人柄も、出自も、価値観も、倫理観も、なんと言っても人格が、よくても悪くても、語る言葉に表れてしまうからです。舌先三寸、天下を取った人も、命を失った人もいます。私たちが、舌を正しく制御できたら、どんな富や地位を得るよりも素敵なことに違いありません。

 これまで、多くを語らなくとも、核心を語った方と出会ったことがあります。まるで見ることができ、触れそうに語った方です。命を与えられ、将来と希望をくださった方です。この書を開くと、今でも命が溢れています。「キリストのことば」、「聖書」です。まさに沁み沁みとして参ります。

(“ 新潟永住計画 “ の冬の出雲崎の海、新宿御苑の庭です)

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