分からない

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 初めて「マニフェスト」という言葉を聞いた時、『ナニフェスト、ナニ言ってんのだろう?』と、正直にそう思ったのです。選挙の時期に聞いた言葉でした。ですから、きっと政党や候補者が、自分が当選したら、目指そうとしている「政策項目」なんだろうと推察したのですが、ちょっと意味が似ていたのです。辞書を引くと、「選挙公約」なのだと言うのです。

 どうして「選挙公約」と言わないのかと思ったのです。この年寄りには、魔術師に謎をかけられてしまった様なのです。このコロナ禍で、「コロナ」は、皆既日蝕で太陽の周りにある炎の様な状態を言っていることは学んだことがありますし、私が乗っていた自動車名でもありました。ところがウイルスの名にも使うのだと思って意外でした。また「パンデミック」を聞いた時、どこかの国の「パン」なのかとは思いませんでしたが、「伝染病拡散」を使う方が、年寄りには《厳粛さ》が伝わってきていいと思うのです。

 学級の人気者かと思った〈クラスター〉、拳闘選手が倒れたのかと思った〈ロックダウン〉など、〈新カタカナ語〉が氾濫して、この萎縮してきた脳味噌では理解できないで、迷子状態です。毎朝毎夕、ラジオニュースを聞くのですが、その〈カタカナ語〉が多くなって、頭の中で漢字変換できずに混沌としてしまっています。

 この傾向ってなんなのでしょうか。英語やフランス語の優等性を認めて、日本語の古さを卑下している様に思えるのは、きっと私だけではなさそうです。私に多くのことを教えてくださったアメリカ人の恩師と話をした時に、私が、得意満面で「ボランティア」をしたいとか、しようとしているとかを、彼に言ったのです。まったく通じませんでした。すると、『準、"volunteer[vὰləntíər] ヴァランティィア “ だよ!」と直されてしまいました。でも日本人に話す時に、英語発音をしても気取ってると思われて、英語発音を使うのを躊躇してしまうのです。それが悲しい日本人の劣等感でしょうか。

 明治のご維新後、欧米に思想の用語が、中村正直や箕作麟祥や福沢諭吉などによって日本語に翻訳されました。それを「明治翻訳語」と呼んでいます。たとえば、

individual̶ 個人
honey-moon̶ 新婚旅行
philosophy̶ 哲学
science̶ 科学
she̶ 彼女
time̶ 時間
adventure̶ 冒険
love̶ 恋愛
art 芸術
telegram̶ 電報
century̶ 世紀
common sence̶ 常識
home̶ 家庭
hygiene̶ 衛生
impression̶ 印象
trust 信用
truth 真理
democracy 民主主義
liberty 自由
politics 政治
policy 政策
right 権利 
tradition 伝統
logic 論理 etc.
(国立国語研究所名誉所員・ 明海大学外国語学部客員教授 飛田良文、他)

 政治や思想や教育や医学などの分野の専門用語は日本語に翻訳され、それが、近代中国でも、新語として用いられていきます。ところが、その翻訳語を、カタカナ語で復元してしまい、意味を曖昧にしてしまった場合が多いのです。そして現代の様に、公共放送でも新聞でも、学術論文でさえも、どっかの県では “ Alps “ を市名にしているケースもあり、カタカナ外国語が氾濫してしまいました。

 受け継いできた美しい日本語を残したいと願っています。命や生活に関する、重要な事態の説明や、緊急事態の知らせの場合は、使う方のいい気分を引っ込めて、意味が通じる言語、原語を使って欲しいのです。高校時代の英和辞書を引くにも、カタカナ語を英語に直すのは至難です。それから辞書を引く頃には、もう感染してしまいそうです。

 さらにもう一言、「カステラ」は、私の内では、和製の「かすてら」であって、すでに “ Castella "ではなくなっています。母が、よく届けてくれた「三時のおやつ」ですから、例外として表記は変えないでいただきたいのです。

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