恥を雪ぐ

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 私は見ませんでしたが、先頃、寒かった日に、この街にも、雪が降ったそうです。経験から、遠い山から雪片が風に、「舞って来た」という表現がよいのかも知れません。雪雲が天空を覆って〈降る〉のと、頭上は晴れていて遠い山沿いに降った雪が〈舞う〉のとでは違います。

 以前は、ここ北関東の下野国でも、よく雪が降ったのだそうです。先日の悪天候で、奥日光や那須塩原では、大雪が降ったそうですが、近年では積雪が見られないのだそうです。この一月に、中国の雪の降らない華南の街から、家内の見舞いに来られたご夫妻が、日光の戦場ヶ原に、知人に案内していただいて、出掛けましたら、童心に帰ったのでしょうか、雪に身を投げ出して喜んでいたと言っておられました。

 兄たちが、りんご箱と竹で作った橇(そり)で、崖の上から、嬉々として滑り降りた日々がありました。転んで雪まみれになるのを楽しんだのですが、雪のない今の子どもたちにも、あの雪の日の冒険を味わわせてあげたいと思っています。

 さて、試合などの勝負などで、勝ちたかったのに、実力の差で負けてしまった選手やチームが、次の年には、負けた相手に勝とうとする気持ちを、「恥をすすぐ(除きさる)」と言います。その「すすぐ」を、【濯ぐ・洒ぐ・滌ぐ・漱ぐ】という漢字を当てて読ませていますが、「雪」を当てることもあります。

 日本大百科全書では、「会稽の恥を雪ぐ」を次の様に解説ています。『敗戦の屈辱を晴らすこと、また名誉の回復をいう。中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)が呉(ご)王夫差(ふさ)と浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)市の南方に位置する会稽山に戦い、そこで包囲されてやむなく屈辱的な講和を結ぶという辱めを受けた。これが「会稽の恥」である。その後、勾践は賢臣范蠡(はんれい)の助力を得るとともに、つねに苦い胆(きも)を部屋の中に掛けて置き、それを嘗(な)めてはこの辱めを思い出すなど、非常な苦心を重ねて20年、みごとに夫差を破って名誉を回復した、と伝える『史記』「越世家」の故事による。」とです。

 昨日も、夢を見たのですが。自分の恥ずかしい過去を思い出させる様なもので、人に褒められたり、感謝されたりすると、きっと、そんな夢を見るのです。何一つ褒められるべきものがないのに、そうされるのが恥ずかしいからでしょうか。ですから、過去の負けも失敗も恥も、「雪辱(せつじょく)」の思いなど微塵もなく、亀の様に頭を引っ込めるだけの自分です。

 “ 漢字文化資料館 ” は、「雪」と言う漢字を、どうして「すすぐ」に使うかについて、次の様に解説しています。『この字が古くから「洗い清める」という意味で使われていたことは、間違いありません。そのイメージは、私たちが現在抱いている、「きよしこの夜」の雪のイメージと、そうかけ離れてはいないのではないでしょうか。』

 よく、スポーツ選手が使う言葉に、” revenge “ があります。その意味は「敵討ち」で、血を見る様な仕返しや報復を言ってるのですが、負けたのが悔しい選手が、再挑戦して勝とうという気持ちを、そう言うのでしょう。ところが、こんなお方がいました。

 「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。・・・彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。(イザヤ書50章6節、53章7節)」、こう預言されたお方が、人の世に来られたのです。私の恥を、ご自分の恥として負われて、私たちの恥を雪ぎ罪も赦すため、人を死と裁きから救うためにでした。その方を知って、信じて感謝と喜びの今日があります。

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