ダンダン

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 「毎日新聞」に、以前、自分の母親を語る欄がありました。また「文芸春秋」には、今でも「オフクロ欄」があります。そこでは著名人が、亡き母や老いた母を、思い思いに語っているのです。千差万別、様々な母親の思い出や影響があることを読んで、けっこう面白い記事だと感心しています。

 近くのドラッグストアーの本売りの棚の「文藝春秋」の、この欄を、たまには立ち読みしているのです。『この人にはこんなお母さんがいたんだ!』と思うこと仕切りです。 年配者が、自分の母を語る語り口は、実にほほえましいものがあります。

 とくに誰にとっても母親は、《特別な人》に違いありません。造物主が極めて親密さの中に置かれた関係でして、9ヶ月間その母の胎の中で育み、誕生するや自分で飲んだりすることの出来ない赤子だった私たちを、実に献身的に世話をしてくれた育児者であったわけです。その記憶は全くないのですが、体が覚えているわけです。さらに初めて身近にした女性でもあるわけです。

 月の輪熊の母子の様子がテレビで放映されているのを観たことがありますが、その関係の影響力は、その子熊の一生を支配するほどの重要な意味が、母子の関わりの中にあるのだそうです。生きていくことを学ばさせ、子はそれを習得しているわけです。ペンギンでも狼でも猫でも、その母子関係は実に細やかで、実務的な教育がなされいます。

 もちろん病死などの離別で、母親の思い出や影響の全くない方もおられるのですが、それが許されたれたことを認めるなら、欠けたるところを、充分に補ってもらえるに違いないのです。
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 ある方が、『おかあちゃんに会いて-よー!』と泣いているのを見させて頂いた時、いくつになっても、母は母なのだと確信させられました。〈マザコン〉と揶揄(やゆ)されたことが、以前、私にもありました。自分の母を誇ったのが、その方にはずいぶんと迷惑だったわけです。

 人には様々な過去と背景がありますから、決してどなたかを傷つけようとしたのでも、無配慮にでもなく、母の教えや存在に感謝して語ったのですが。同じ母の子でも母に対する思いや評価は、兄弟でも様々に違うわけですから、仕方がなのかも知れませんね。

 私の愛読書に、「あなたの年老いた母をさげすんではならない。あなたを産んだ母を楽しませよ。」と記されています。人生の晩年に、自分の母親が、老いを迎えて、息苦しくなったり高血圧であったりして弱くなっていくのを見ていました。2度の大病を越えて生きた母がひと回り小さくなっていくのです。その母の通院に付き添ったことがありました。

 駐車場から診察室まで遠かったので、帰りに、母を負んぶしたのです。負ぶってもらった記憶はありますが、今まで母親を背負う機会がなかったのです。〈平成の啄木〉の様に、砂浜ではなくビルの谷間を二百歩ほど背負ったでしょうか。『このおじさん何してんの?』といった顔を向ける若者の間を歩みました。やはり軽いのです。その時「砂の上の足跡」と言う有名な詩がありますが、その詩を思い出してしました。

 14才の少女の時から、いえ母親の胎に形作られた時から、絶対者に負ぶってもらって、95年の天寿を全うしました。時々、出雲弁が出てしまった母を、父がからかっていたことがあります。この出雲弁で、『ありがとう!』を表すのに、『ダンダン!』と言うのです。そうすると私にとっての母親は、《ダンダンの母》になるのでしょう。

(島根県花の「牡丹」、出雲市の一畑電鉄の電車です)

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