もはや

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 ある詩人が、次の様な詩を発表しています。

       『倚りかからず』

もはや 
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや 
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや 
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや 
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目 じぶんの2本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは 椅子の背もたれだけ

 『いやー、ずいぶんとシンドイ人生だなー!』、この詩を読んだ感想です。「人」という漢字で、私たちは、他者と一括りにされるのですが、単純に文字の成り立ちは、〈支えたり〉、〈支えられたり〉している様子を、古代の中国の人たちが考えて、文字が誕生したわけです。人は、〈単立〉ではなく、〈併立〉な存在者だったのです。

 〈独立独歩〉であることは、自立した在り方ですから、成長した人の逞しさがあります。でも〈倚りかからない人〉って、寂しそうです。〈自分の足のみで立っている人〉って、倒れかかったら、誰に、何に、支えてもらうのでしょうか。それさえも必要なく、突っ張って生きて行くのは、辛そうです。

 この詩人が言う様に、〈自分の耳目〉だけで聞いたり、見たりするだけだと、偏向的で危険です。自分だけしか信じられない人って、厳しい人生を生きているのでしょう。この詩を読んで、ある日本の突っ張り傾向の政治家が、とある外国に行って、その国の首長と言葉を交わした話を思い出しました。『私は、神を恐れています!』と、絶対者への畏怖を語る言葉を聞いた直後に、わが国の首長は、『私は、神をも恐れません!』と言ったそうです。

 その〈神なき民〉、〈神不要の民〉の言葉を聞いた、その国の人々は、驚きあきれ、かの政治家は、欧米人の顰蹙(ひんしゅく)をかったそうです。神を畏れずに、権勢を誇った指導者は、ほとんどが悲惨な最後を遂げています。以前、独裁者の顔写真を掲載してありましたが、そのほとんどに、〈❌〉が印されてありました。

 かく詩を詠んだ詩人の茨木のりこは、24歳で結婚をして、配偶者を得ています。結婚生活25年で夫と死別しています。夫の死後に、夫への想いを綴った「歳月」を刊行していますから、夫には支えられて生きた人、夫を支えて生きた女性であったのです。戦争体験者で、反骨を貫いた方ですが、79歳で召された後は、遺言で、鶴岡市にあるご主人の墓に葬られました。椅子よりも素敵な伴侶が、この詩人にいたので、突っ張っただけの女性でなかったのを知って、ホッとしました。

(フリー素材のイラストです)

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