古桶

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 オランダから来られた《 Story Teller 》が、友人の倶楽部で語った話を、友人が次の様に分かち合っていました。

 『二つの水桶に水を入れて、天秤棒で担ぎながら運ぶお爺さんは、せっせと水を運びます。前には新品の桶、後ろには古ぼけた桶を下げていました。後ろの桶は、ボロボロになっている様なものだったのです。坂道を登って行くのですが、新品の桶からは全くないのですが、古ぼけた桶からは、水が漏れています。それでもお爺さんは水を運ぶのです。

 ところが新しい桶が、古い桶に向かって、「お前はなんて役立たずなんだ。半分も水を減らしてしまって。働きゾンのくたびれ儲けだ。お前なんかさっさと辞めちまえ!」と、軽蔑を込めて言うのです。それを聞いた古桶は、ひどく落胆してしまいます。そんなしょげてる桶は、お爺さんに、「こんな役立たずの私を使うのは辞めてください。捨てるなりなんなりしてください。」と言います。それを聞くとお爺さんは、「何を言うのか、あなたはこれまで、ずっと私のために働き続けてくれたじゃあないか。今だって立派な仕事をしてくれている。」と言いました。

 お爺さんは、いつもの坂道に、この古桶を連れて行って、道端で咲いている小さな花を指差すのです。そして、「ご覧、なんて綺麗な花なんだろう。君が水をこぼしてくれたので、この乾き切った坂道に花が咲く様になったんだよ。この咲く花で、私は、どれだけ慰められ、励まされたか知れない。それはみんな、君が水をこぼしてくれたからなんだ!」と言いました。』

 この話を聞いて、父の若き日を過ごした中国に行こうとしていた時に、こう言われたのを思い出したのです。『そんなに歳をとって、しかも外国に行って、どんな働きができるのか!』と言われたことをです。それでも、私は、家内の手をとって、成田から飛行機に乗って、香港にまず行きました。1週間、いろいろな国から来た20人ほどの方たちと、オリエンテーションを受けたのです。若い人たちばかりで、老人は私たちだけでした。

 それを終えて、私たちは、寝台列車で北京に向かいました。北京には、天津の語学学校の関係者が出迎えてくれていたのです。中国本土に着いて、私たちの仲間で、老人は私たちと、もう3組の夫婦がいるだけでした。『そんな歳で、何をしようとしてるのですか?』と言う目で、同邦の若い女性に見られたのです。辛辣なことを言われて、少しの戸惑いがなかったわけではありませんが、家内と私には、長く続けた仕事を辞め、後ろ髪を振り切って、何者かに押し出され、やって来た強い《決心》があったのです。

 水漏れのする桶の様な古びた私たちへの大方の予想は、『一年ほどで終えて、帰るだろう!』でしたが、あにはからんやで13年も、中国大陸で過ごすことができたのは、私たちにも奇跡の様でした。何人もの方たちが、『歳を取られているのに、中国の私たちのために来てくださって、本当にありがとうございます!』と言ってくださった激励があったからなのかも知れません。

 友人や家族や兄弟から頂いた餞別で、異国での滞在には限りがありましたが、華南の街に着いて間も無く、大学の日本語学科で、日本語教師として働く機会が与えられたのです。ずいぶん高い俸給が与えられ、学長に、『ずっと、ここで教えてください!』と言われたほどでした。それは2人で生活をするのに、ちょうど好いほどでした。滞在期間、援助をし続けてくださったみなさんがいたのも、感謝に尽きません。

 私たちの〈こぼした水〉が、花を咲かせたかどうか分かりません。生き続け、いえ生かされ続けていることによって、ありのままの《存在の意味》があることを証明してくれたのではないでしょうか。そう言えば、学生や若いみなさんの間に、家内と私がいて、一緒の時を過ごしたことに、彼らの感謝がありました。このところ自虐傾向が強過ぎる私ですので、在華時に、『私たちと一緒にいてくださってありがとうございます!』と、何度も言われたことも申し添え、ヒビの入った珈琲カップにも、色のあせてしまったTシャツにも、まだ務めがありそうです。

(〈フリー素材〉で映画「裸の島」の一場面です)

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