.
.
第一次世界大戦は、ボスニア系セルビア人の民族主義者によって、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、暗殺されると言った事件(サラエボ事件)が契機となって、ヨーロッパ中、いや世界中を巻き込んだものでした。一人の十代の青年の暴挙が、原因となったわけです。
この青年の心を捉えた「ナショナリズム(民族主義)」ほど、厄介なものはないのです。優秀な男子が、「大セルビア主義」に心酔し、間違った愛国主義によって、世界を震撼とさせてしまったわけです。結果的には、犯人は死刑を求刑され、入獄中に病気で亡くなり、セルビヤ王国は滅亡し、新しい「ナショナリズム」である、戦争責任を問われ、多額の賠償を課せられたドイツに、「ナショナリズム」の象徴たる「ナチス」を台頭させるに至りました。
ナチスは、容姿にも人間的にも優秀な「アーリア人」の支配で、世界を治めようとしたのです。その「第三帝国」も、ナチスの結党後、12年で終わるのです。日本でも「大日本主義」による、東亜五族の支配を目指して戦争に突入しました。しかし、敗戦によって、それは霧散してしまったではありませんか。
しかし今、また民族主義が起こりつつあります。緻密で機敏、工夫や改善によって、世界に冠たる物造り国になって久しい日本が、敗戦の荒廃の中から、不死鳥のように生き返ったのは、この民族の「優秀性」や「優越性」であったと、必要以上に誇示しようとしています。
確かに勤勉で、諦めないものを私たちは、父母や祖父母から受け継いでいます。でもマイナス面も、私たちの国民にはあることも知っておく必要があります。
これまで地下鉄やJRの運転遅延に、何度か遭遇したり、乗り換えの路線変更のアナウンスを何度も聞いてきました。そのほとんどは「人身事故」だったのです。走って来る電車の前に、身を投げ出す事故が、止みません。また鬱病の発症率も高くなり、その予備軍は信じられないほどの数だと言われています。
本当に、私たちが優秀な民族であるなら、どんな人生の重圧をも、跳ね除けて、耐えられるに違いありません。そうできない民族の弱点が露呈されていることは確かです。
自分の生まれた国を愛し、感謝し、そして同胞と共に、さらに素晴らしい国を造ることは素晴らしいことです。困っている国には、いつでも援助の手を延べ、近隣の国とは、友好関係を育てていくことです。過去については、しっかり謝罪をし、二度と過ちを犯さないことを確約するのです。それは、必ず努力すれば可能です。
孫たちには、必要以上に愛国心を煽らないようにしています。しかし、しっかり歴史を学んで欲しいのです。《偏向した歴史観》ではなく、「過去の事実」を知って、自分の国の未来を考えられる人になって欲しいと思っています。そして、自分の幸せの実現ためだけではなく、いつも《他者(他国や他民族を含めて)》を考えられる人になって欲しいのです。大小さまざまな社会問題の中から、自分たちだけを意識した「ナショナリズム」の叫びが、世界中から聞こえてくる只中で、そんな思いにされています。
(ボスニアの一風景です)
.