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4年ほど前になるでしょうか、こんな記事をネットで読みました。東京・有楽町に「外国人記者クラブ」があって、日本で取材活動をしている特派員たちの1つの拠点で、発行している「ナンバーワン・シンブン」に、こんな短い記事が載っていました。
『ある外国人記者が有楽町のいつもの店で食事をした。勘定をして出ようとしたところ、店員から1枚の紙を渡された。「◯◯さん、先日おいでになったとき、お釣りの十円玉がテーブルに置き忘れてありました!」そう書いて、十円玉がセロテープで紙に貼ってあった。外国人記者は、「世界のどこにお釣りの十円が戻ってくる国があるだろうか?」と書いて、その短い記事を結んでいた。』とありました。
地震や台風などの自然災害の厳しさに見舞われて、日本人は、落胆しているかも知れません。わずかな人の十円でも自分の懐に入れないで、困難の中を生きてきたのです。そんな現実に対峙しながら、私たちの先人たちは、奥歯を噛みながらも、へこたれることなく、辛ければ辛いほど、微笑んで生きてきているのです。これを、《日本人の不思議な微笑み》と、外国人は言うのだそうです。
苦境に立たされて苦しいのは、みんなが経験していること。仲間に、近くにいる人に、家族に、苦しんだ顔ではなく、『現実をしっかりと見つめて、生きているんだ!』と言うことを、見せるための《微笑み》なのです。亡くなったご主人の、骨を持ち帰った女中さんが、外国人の主人夫妻に、微笑んで見せたことが、健気に生きて行こうとし、自分たちを悲しませまいとする生き方なのだと、この外国人は分かったのだそうです。
本来なら、号泣(ごうきゅう)したいはずです。でも自分の悲しみで、周りの人を悲しませたくない、そう言った配慮が、そういった行動をとらせるのです。狭い国土、狭い耕地にへばりついて生きて来た日本人の心に、そんな《不思議さ》が出来上がったのでしょうか。飢饉や不作、子沢山などで貧しくとも、台風や洪水で畑地を流され、地震で家を壊されても、何のそので生きて来た底力が、培われているからなのでしょう。
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『両足切断になるかも知れません!』と言われながら、その痛さと恐れの中で、ぐっと耐えていた母の顔を思い出します。やって来るトラックを避けて、自転車から降りて、路側で待っていたとき、タイヤのボルトで両足に大怪我を負ったのです。高校に行っていた私は、知らせを受けて、担ぎ込まれた病院に駆けつけました。診察台に横になって、じっと我慢して、弱音を履かない、母の強さに圧倒されたのです。
さらに初期処置が悪く、転院した先で、切断の時期を、医者は待っていたのです。でも、化膿が止まって回復し始めました。一年近く入院していたでしょうか。母にとっては大試練だったわけです。夏場も、厚手の靴下を履いて、それ以降生活をしていました。多くの友人たちの願いや激励が背後にあって、それに耐えられたのでしょう。
母も、家族や友人たちを悲しませまいと、微笑んで、そして正直に生きた一人でした。今まさに、コロナ禍の只中、世界は、未曾有の危機に直面し、誰もが、感染への恐れを抱きながら生きています。悲観が地を満たしています。そん中でも、《微笑み》を忘れないでいられるでしょうか。悲痛な顔よりも、困難のさなかには、《微笑み》の方が、好いに違いありません。