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「目に見えないもの」があるんだと、今回の新型コロナ・ヴィールスが教えてくれました。感染したことによって、肺炎を惹き起こして、その存在が、人によって証明されたことになります。
人の一生が七十年、八十年と知りながら、けっこう鼻っ柱強く生きてきた私でも、いつの間にか、自分が優れていると驕り高ぶってしまっているのを感じています。それなのに目に見えないものに、この数ヶ月、多くの人がなぎ倒されていくのは、どうしたことなのでしょうか。何層にも盛られた不落の堤防や城壁が、アリの一穴で、脆くも崩れ落ちてしまうのと、何か似ています。
五十年、百年に一度くらいの間隔で、言い知れない恐怖に人類は脅かされてきています。葦の様に、か弱い人の存在が露呈されたのでしょうか。大水に、大地震、飢饉に、そして疫病に襲われて、風前の灯の様に見えます。でも、天来の英知は、いつも、それに果敢に挑んで、回避や解決を見て今日があります。
思うに、敗戦後の物のない時代に、父や母は飢えさせないで、私たち4人の子を、育て上げてくれたことを感謝する日々です。よく母が作ったのが、「すいとん(水団)」でした。私が世帯を持ってから、養育を委任された4人の子どもたちに、食べさせるものがなかった食卓の日は一日もありませんでした。今、子どもたちに聞きますと、『うちって、しょっちゅう小麦の団子の入った《すいとん(水団)》だったよね!』と言われます。そのせいでしょうか、脚気にならないで、4人とも標準以上の体格に育ったのだと思われます。
コロナ禍で、緊急事態宣言の発令の前に、行先の少なくなった長男家族が、わが家を訪ねる計画を立てていました。〈すき焼き〉でもと考えていた時、長男から電話があったのです。飽食の時代、懐かしく昔日を思い出したのでしょう、『行く時、〈すいとん〉にしてくれる!』と言ってきたのです。ところが、緊急事態宣言で来られなくなってしまったわけです。
物不足を恐れて、買い物に走る人が出てて、日本だけではなく世界中で、店の棚から物がなくなってしまいました。その情報に動かされなく悠長にしていたら、知人がティッシュボックスやトイレットペーパーを届けてくれましたので、とても助かりました。それで何不自由なく生活ができています。昨日、ドラッグストアーに行ったら、もうトイレットペーパーは満杯に置かれて、元の様でした。あの買い込んだペーパーは、どうなってるか、余所ごとながら心配になってしまいました。
当座の物で足りています。毎朝、『恐れるな!』と言う声を聞いています。世界中で一生懸命に、収束に向けて、専門家のみなさんが励んでおいでです。好い終息の明日が来るためにです。もう大自然の前に降伏して、自然破壊から《自然養護》に、人は向きを帰る時がきているのではないかと思うこの頃です。
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