あの一年

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家内と私は、2006〜2007年のほぼ一年間、天津の街で過ごしました。真冬になると、人工池から流れる運河でししょうか、水路がパンパンに凍ってしまい、近くの大学の学生たちが、その上で遊んでいる光景を眺めていました。

その街で、春先になった頃のことです、柳の木から「柳絮(りゅうじょ)」と言う綿が、まるで雪が降る様に、ふわふわと飛び交うのです。日本でも見られるそうですが、あんなに大量に浮遊し、吹き溜まりには、大きな風船の様に塊ができるほどの珍しい光景を見て、驚いてしまいました。

中国に、「柳絮の才」と言う話があります。

『晋の時代、謝安が急に降り始めた雪を見て、この雪は何に似ているかと聞いたところ、甥の謝朗は「空中に塩を蒔いたようだ」と言い、姪の謝道韞は「白い綿毛のついた柳の種子が風に舞い散るのには及ばない」と答えた。謝安は姪のことばに感心し、「柳絮の才高し」と言ったという。』

たった一年の滞在でしたが、夕日の大きさ、土地の広大さ、お菓子屋さんでも御殿の様な目を見張るほどの門構えの大きな建物、冬季の寒さ、春節の喜び、爆竹の炸裂音、天津名物の麻花の美味しさ、広く雑然とした菜市場の賑わいなどに驚かされたのです。そういえば、果物屋によく行ったのですが、外国人への特別に高い値段で買っているのを、級友に教えられ、行かなくなったこともありました。中心街に、伊勢丹があって、その8階の日本料理店で、日本人のスタッフと日本語交流ができたので、何度か出かけました。また子どもが多いはずなのに街中で、登下校時にしか見かけない様子、何から何まで見慣れない光景が満ちていました。でも社会全体に、活気が満ち溢れ、旺盛な生命力を感じた一年でした。.
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家内と自転車で駆け巡り、同じ語学学校のイギリス人、アメリカ人、ブラジル人、スイス人などの学生たちとの交流が楽しかったのです。日曜ごとに市の中心街に出かけました。茶菓を持ち合っての交わりを持ち、夕食を招きあったり、学校帰りに市内見学に行って迷子になりかけたり、ある時は、「IKEA」が出店すると聞いて、バスをチャーターして、北京にも大挙して出かけました。生気あふれる若いみなさんの仲間に入れてもらって、大いに刺激された一年でした。アメリカ人のご主人と台湾人の奥さんとお嬢さんのご家族に、昼食に招かれたり、イギリス人家族に招かれたりでした。

学校帰りの道では、自転車を降りては、通りすがりのみなさんに、習いたての中国語で話しかけ、ちんぷんかんぷんな顔をしているので、身振り手振りで話しかけていました。アッ、そうです、「吉野家」があって、留学生たちに人気で、『ここ日本の店!』って自慢したこともありました。

あの同じ外国人語学学校の同級や上級生たちのみなさんは、あれから十数年経ちましたが、どうされているのかな、と時々思い出します。学校の老師やブラジルから来ていた若い同級生が、わざわざ華南の街のわが家を訪ねてくれたこともありました。また戻って、あそこで生活をしてみたい思いがしてまいります。

(柳絮の舞う様子と天津の紫金山路の天塔に付近の風景です)

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