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 黄河流域の氾濫原に、古代文明が誕生します。定住して農耕が行われ、文明が起こり、「黄河文明」と呼ばれる文化活動が展開して行きました。その中で誕生したのが、「漢字」でした。ある意味では、祭祀的な背景の中から誕生するのですが、私たちに現代生活と、切ってもきれない役割を、この独特な文字は担っています。

自分の名前は、「廣田準」と表記するのですが、きっと祖先は、大百姓で、広大な田畑の所有者だったのでしょうか。それとも、広がる扇状地に住んで、田畑を開墾した過去があって、そんな苗字をつけたのかも知れません。田んぼの真ん中に住んでいた人は、「中田」とか「田中」、川の沢に田を持った人は「沢田」、「佐和田」とか名乗ったかも知れません。

親がつけてくれた「準」は、次のような意味がある様です。「会意と形成文字です(氵=水、それに〈隼〉で成っています)。〈流れる水〉の象形と〈鳥に象形の下に〈一〉を加え、人が腕に止まらせ、狩に使う鳥を示す文字〈隼はやぶさ〉の形をした〈水準器〉、〈平たいら〉を意味する。」のだそうです。「準備」、「準拠」、「準用」と言う言い方で使われ、「準会員」もありますから、主力でない、二の次のような意味があるようです。父は、「二番手」、「補欠」でいい、そんな平凡で目立たない生き方を、私に願ったのでしょうか。

この1週間ほど、「大雨」、「増水」、「浸水」、「水害」、さらには、「氾濫」、「洪水」など、「氵」や「水」のつく出来事に翻弄されています。そんな体験の中、もう一つの漢字が思いの中に浮かんでまいります。「愛」です。浸水の報を聞いて、「焼きそば」、「お寿司」を持って駆けつけてくださったり、闘病中の家内の衛生上の問題で、『ここにいてはいけない!』と、家探しをしていただいたり、部屋を提供してくださったりして、多分の「愛」をお受けしているのです。

こんなに静かで、落ち着いた疎開先で生活ができて、家内も私も感謝でいっぱいです。「愛」という漢字には意味があります。「本字は、会意形声。夊(すい)(あるく。夂は変わった形)と、㤅(アイ)はふりかえろうとする気持ち。㤅は変わった形)とから成り、ふりかえりつつ歩く、ひいて、心にかける意を表す。のち、?に代わって、愛が用いられる。」と漢字辞典にありした。「心にかける」、関係や繋がりのない者への、心遣いは、病んで、衛生上の必要のある者には、何とありがたいことでしょうか。

人の心から流れ出る美しい感情、優しい感情を、「愛」と言うのでしょう。親の愛、朋友の愛、兄弟の愛を身にしみて感じている最中です。子どもたちが、様々に気を使ってくれるのは感謝なことです。『子が4人います!』と言って、若い頃に笑われたことがあり、『4人は多過ぎるかな?』と、チラッと思ったことがありました。でも《矢筒を矢で満たしていること》 が、こんなに素敵なことであるのだと喜ぶ今です。《温かな漢字》にも感謝しないといけませんね。

(「矢」と「矢筒」です)

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