失いしもの

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今回の被災にともない、悲しいことがいくつかあります。病んだ家内の闘病生活のために、良友夫妻がお貸しくださった家が、住めなくなってしまったことが第一なのです。

中国から急遽帰って来て、ひとまず、家内が落ち着いた家でした。その翌々日の1月10日に、家内は獨協医科大学病院に入院し、4月15日に退院するまで留守をしたのですが、私と、見舞いに来てくれた娘たちが泊まり、その家族が駆けつけてくれて泊まった家でした。また、日本で生活をしている息子たち家族が、見舞いがてら訪ねて来てくれた家でした。さらに友人たちや、親族がやって来てくれたりもしました。

一喜一憂、いえ一喜多憂し、それでも天を見上げ、手を合わせながら、人の非力を覚えながら、治癒を信じ、帰って来ることを、切に願った家でした。家内を見舞い、下着を持ち帰って洗濯し、物干しにかけ、乾いた着替えや頂いた便りを持って病院通いをした基地でもありました。また友人知人からに問い合わせに応えたりした家なのです。

何よりも、病状が快方に向かって、退院して帰ることのできた家でした。見舞ってくれた家族や友人たちと談笑し、喜び合った家です。中国の華南の街からも、三組の見舞客が訪ねてくれ、中華料理を作って、家内に食べさせてくれた台所のある、床掃除をしてくれた家でした。

華南の街の家では、毎年、夏先に育てたのが朝顔でした。健気に一所懸命、次から次と咲いては喜ばせてくれる花が好きだったからです。家内が種を蒔いて、台所の流しの下の暗闇で発芽サせ、鉢に植え替えて、育てた花なのです。退院してきた家内が、最初にしたのは、この朝顔の種まきでした。もう、家内がそうすることなど、ありっこないと思ったことでしたが、朝顔が花開き、次から次へと咲き出して行きました。

先週末の19号台風の襲来で、決壊した川の水が押し寄せて来て、強風に見舞われながらも、その強風雨に耐えて、月曜日の朝、二輪の花が咲いたのです。諦めていたのに、開花してくれました。ところが、そのまま、ここ高根町に越して来てしまったのです。水遣りの世話をしないで放置してしまった〈申し訳なさ〉で、思いがいっぱいです。

落ちた朝顔の種が芽を出して、小鉢に分けて植えたものも、そのままです。人が作り出せない命を、人間の都合で断つという悲しみです。40年前に、上階の家のガス爆発で、ベランダのジュウシマツが焼死してしまいました。そして13年前に、中国に行くに際して、飼い主を見つけられず、市の保護センターに連れていかざるを得なかった、二匹の猫の保護責任、養育責任の放棄もありました。

みんな辛くて、悲しい出来事でした。でも、どうすることもできないことは、赦されると思っております。今季咲いた朝顔の種が、残した本棚の中に置いてあります。来夏、その種を、近々見つかるであろう家の庭かベランダの鉢に植えようと思っています。これで好いでしょうか。〈失いしもの〉は、確かに多いのですが、〈得しもの〉の方が、はるかに多いのは、感謝なことであります。

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