おめでとう!

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このブログ(日記)、「悠然自得」を始めまして、今月で満九年になろうとしています。子や孫に、彼らの父と祖父が、どう思い、どう考え、どう生きてきたか、どこに向かっているのか、そんな事々を書き残して、伝えたくて始めたのです。これを発行する以前、二度ほど別のタイトルでブログを発行したのですが、自他両面の都合で廃刊になり、2010年9月に、この「悠然自得」の発行を再開したわけです。

意外な人が、『読んでいます!』と言ってくださったりしていますが、『こんなこと書いて公にして好いの?』など、子どもたちから、何回も言われながら、ちょっと恥ずかしい事まで書いてきています。それでも大分抑え気味の執筆なんです。最近では、応答が余り寄せられませんが、家内の病状などを知って、電話やメールをしてくださる方もおいでです。

それでも、何度か絶筆をと思ったり、掲載した記事が欠落してしまったり、故障があったりしましたが、結構長く続いてきているのに、我ながら感心しております。始めましたのは、タイトルでお分かりの様に、中国に行って四年ほど経った頃でした。ですから、最近は兎も角、ほとんどが、華南の地で書いたもので、海を隔て、時を隔てて思いを連ねた事になります。

今日は、闘病中の家内、《糟糠の妻》の《誕生日》なのです。肺の腫瘍が大きくて、血管と気道と食道とを圧迫して、手足がパンパンに腫れ、呼吸が困難になり、食べ物を飲み込めない〈三重苦〉、さらに胸水も肺の中に、多量にありました。ですから退院もできませんし、組織検査をしてもはっきりした事が分からず、治療法も決まらずにいて、ほぼ諦めてました。きっと誕生日も迎えられずに、召されると覚悟していたのです。

そんな中、次男が見つけてくれた “ サプリメント ” を買って持ってきてくれて、入院治療中の母親に飲む様に勧めていました。十代の子育てに難儀した息子で、最後に産み落とした息子への愛情は特別でした。その子から、自分の母を切々と思い、回復する様にと、願いの籠った “ サプリメント ” は、どんな薬よりも、薬効があったのでしょう。主治医の反対を押し切って、内緒で家内はそっと服用していました。それが奏功したのが、危機を脱する事が出来た、一つの理由です。

華南の省立医院で診てくださった医師、その判断と治療、そして帰国を勧めてくださって、獨協大学病院にかかり、若い主治医が判断し、繰り返してくださった入院検査と治療、退院後の継続治療、これを受けられたことは感謝に尽きません。この主治医の背後に “ カンファレンス ” の経験豊かな医師陣がおいでで、懇切に治療をし、いまも継続して外来の医師の手で、治療が行われています。
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もちろん、世界中で家内への思いが盛り上がり、手が挙げられ、応援の声が響き渡ったのは勿論のことでした。大陸の華南の街からは、三組もの友人たちが来てくださいました。家内のために労を惜しまず、家を掃除してくれ、食事を作ってくれたりしたのです。みなさんが溢れ、こぼれ出る様な愛心を示してくださいました。これも大きな回復をもたらした理由だったのです。みなさんに、これほどまでに愛され家内が、実に羨ましいほどでした。

『今晩が山かも知れない!』と医師が、看護師に小声で言われた事も、家内は聞いた事があったそうです。幾度か〈死線〉を越えたのです。ところが最近は、元気になる様にと、席を設けてくださって、鰻や金目鯛の寿司や牛しゃぶまでも、食べられるほどの回復を見せている今です。何しろ、誕生日を迎えられたと言うのは、一たび諦めた私には、夢を見ている様な奇跡なのです。

戦時下に、大阪の泉州は堺で生を受け、戦災の東京郊外で火の中を潜り、苦学しながら学び、保育に生涯を捧げたのです。ところが、私が紹介され、結婚し、4人の子を成し、4人の孫のバアバの今です。この子たちや孫たちの激励は、大きな癒しの力に違いありません。懐かしい恩師の著作を開いたりして、家内は若き日を思い起こしています。

友人が住む様にしてくださった家で、ピアノを弾き、長く歌ってきた愛唱歌を口ずさみ、友人たちから送られてくる書を読み、幼い日から読み続けてきた愛読書を手元から離さずに、日を過ごしております。またハガキを書いて、感謝と近況を友人や知人に送ろうとしています。一昨日の夕方は、高校生の頃から、一緒に笑ったり泣いたり、行き来をし、同じ様な病と闘っている友に、一冊の本を贈呈していました。

本やクッキー、下着や寝具、野菜や果物、さまざまな愛の籠った物を戴くのですが、35年過ごした地の特産の《白桃》が、一昨日の昼前に届きました。あの地で、同じ師から一緒に学び、一緒に働き、共に子育てをし、一緒に総二階の事務所を建て、親しく交流した友人夫妻からの家内への贈り物でした。息もつかずに家内は泣きそうになって、ジュウシーな桃を食べていました。嬉しかったのでしょう。この様な多く篤い愛は、病を敗走させている事でしょうか。

家内と私は、13年生活した大陸の華南の地に、帰りたいと切望しています。御心ならば、きっと戻る事ができるでしょう。同じ心をもって、慕ってくださる友人たちと一緒に、彼の地で、共に時を過ごしたいと願っています。そこは私たちの《第二のふるさと》だからです。叶えられても、そうでなくても、この願いは変わりません。

梅雨が終わって、猛暑の到来に、〈暑さ指数33℃〉の「危険」、外出禁止、水分補給を、息子二人 が知らせて、留意する様に勧めてくれています。多くのみなさんの愛に感謝の家内と私です。

まだ闘病の日は続きます。家内は、御心の中にいたいと願っております。時々、『おまけを生きてるんだもん!』と彼女は言っています。何よりも、その《おまけ》をくださり、生まれる前から注がれ続けている、造物主の愛顧、憐れみ、激励、祝福を、一身に受けて、今日迎えた誕生日を、心から祝福します。先ほど(早朝5時)小さなプレゼントを、大きな感謝と愛とであげましたら、ハグでお返ししてくれました。誕生日おめでとう!

(家内の特愛の「マーガレット」、第二の故郷の風景です)

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