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古の書に、次のような一節があります。

「私の目は涙でつぶれ、私のはらわたは煮え返り、私の肝は、私の民の娘の傷を見て、地に注ぎ出された。幼子や乳飲み子が都の広場で衰え果てている。」

広場だけではありません。街の通りでも、いえ何と、自分の住む家の浴室やベランダでも、幼子が泣き、赦しを乞い、哀訴している子どもたちが、日本だけではなく、世界中にいるのです。古の昔だけではなく、今もです。

戦時中ではないのです。飢饉があるのでもありません。溢れるような物質の世界に、「愛が冷える時代」が到来して、世界中の街の中で、みなしご、胎児、捨てられ見放され孤独に苦しむすべての子どもたちが、涙も枯れて、虚ろな目をして、命も絶え絶えにしているのです。

そんな子どもたちに、目を注いでくださり、彼らの命をお守りくださる方がいます。そして私にすることがあります。幼子をいたわり、愛し慈しむ助け手になることです。悲しむだけではいけません。

私は、両親の目の中に、時々、悲しみが溢れていたのを覚えています。母は私生児で、生みの両親を知らずに、養父母に育てられています。ある時、街のどなたかに、『あなたのお母さんは関西圏にいる!』と言われて、会いに行っています。会えたけのですけど、『帰ってくれ!』と言われたのです。実母は、今の幸せと責任に捕らわれて、母を抱きしめることもしませんでした。どんな思いで、山陰の街に、母は帰ったことでしょうか。

父は、中学生の時に、県立中学をやめ、家を出て、東京の親戚の家から、私立中学に転校しています。生みの母は、家を出され、後に継母の元を去ったのです。どうしても耐えられない事情があったからです。

そう言った背景の親は、親業を上手くできないそうです。ところが、私たち4人兄弟の父も母は、育児放棄をせずに、衣食住を与えてくれ、抱いてもくれ、一緒に遊んだり歌ったりもしてくれました。それでひねくれてしまわないで(少しひねくれたかな)、大人になれたのでしょう。

今回、2人の兄夫妻と弟(21年前に愛妻を病気で亡くし以来独身です)と私たち夫婦で、初めての温泉旅行をしました。家内の闘病を激励するために招待してくれたのです。両親が、このことを知ったら、どんなに喜んだことかと思ったりしました。この両親を、懐かしく思い出して語り合ったりもしたのです。

きっと、母は養父母が、父は親戚の方が、《いたわり、愛し慈しむ助け手》になってくれたのに違いありません。私の娘婿のお母さんは、「都の広場で衰え果てている」多くの子に乳を飲ませ、新しい下着や温かなベッドや暖かな抱擁を与えた人でした。私の友人で大家さん夫妻も、何人もの里子を育て、フィリッピンで、身寄りのない子どもたちの園を開設し、今もお世話を続けておいでです。

(広場の風景です)
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