戻りの夏

 

よく聞かされ、覚えてしまった歌謡曲に、作詞が佐藤惣之助、作曲が古賀政男の「男の純情」がありました。このレコードが売り出されたのは、1936年(昭和11年)でした。

男いのちの 純情は
燃えてかがやく 金の星
夜の都の 大空に
曇る涙を 誰が知ろ

影はやくざに やつれても
訊いてくれるな この胸を
所詮 男のゆく道は
なんで女が 知るものか

暗い夜空が 明けたなら
若いみどりの 朝風に
金もいらなきゃ 名もいらぬ
愛の古巣へ 帰ろうよ

ナンパな男になりたくなくて、『男は純情!』と志を立てたのは好かったのですが、世の中の誘惑は、そう甘くなかったのです。と言うよりは、<くすぐったい誘惑>に、自分を晒(さら)してみたい思いが強かったからでしょうか、そんな大人の社会に飛び込んでしまったのです。

勤め始めた職場で、仕事はきっちりしたのですが、上司のお供で、バーやクラブやキャバレーに連れて行かれました。また、地方へ出張すると、理事長が芸者を呼んだ酒席に招待され、立ち飲み屋では、角に塩を盛った一合升で、お酒を飲まされたりでした。いつの間にか、一端(いっぱし)の〈呑み助〉に仕上がっていました。

「純情」など忘れてしまって、〈薄汚れた男〉になってしまいました。まさに「人生の海の嵐に揉まれ」てしまった私だったのです。この世の風も波も、けっこう強くて、小童(こわっぱ)な自分を吹き飛ばし、押し流してしまうほどでした。大人の世界を、ちょっと覗(のぞ)こうと思ったのですが、とっぷり浸かりつつありました。『こりゃあヤバイ!』と思って、引き返そうと決心するのですが、その力が、自分にはありませんでした。

そんな時、元ボクサーの中近東系のアメリカ人と出会いました。当時40代後半でしょうか、斜視で、口髭を生やし、歌の上手な人でした。ニューヨークの学校で教えておられて、アフリカに赴任した教え子を訪ねる旅の途中でした。その途次に、この方は東京に寄ったのです。実に明るい性格の方で、物の考え方が積極的でした。すっかり魅せられた私は、自分の師匠になって欲しいほどの惚れ込み様でした。

でも私の弟子願望は叶えられませんでしたが、この方の感化で、生きる方向と路線を切り替えられる様になったのです。酒もタバコも遊びも、きっぱりと離れることがーできたのです。翌年、三年勤めた職場の所長の紹介で、都内の高校の教師に招聘されたのです。女子校でした。同じ敷地に併設されていた短大も専門学校も、教員から学生まで<女性一色>でした。

再び、『こりゃあヤバイ!』とのことで、結婚したのです。いえ、《結婚してもらった》と言うべきでしょう。まさに、「♯金もいらなきゃ 名もいらぬ 愛の古巣へ 帰ろうよ♭」でした。その歌の文句のままの今です。帰って行く家がなくて、帰国する度に、<大陸寄宿人>の私は、"塒(ねぐら)”探しをするのですが、弟や友人は"塒"を提供してくれるのです。

これもまた、『こりゃあヤバイ!』なのです。一切合切を処分した身ですが、家内には、祖国に一部屋の家でも残して上げたいと思っているのですが、彼女は、『要らない!』と言っています。無鉄砲で、計画性に欠ける生き方の私に、呆れるでもなく悔やむでもなく、<大陸寄宿女>の様に、私に似た身に、不満なく甘んじていてくれるのです。

このところ、災害に遭って、一切を失ってしまうみなさんの様子を見聞きして、持っていけない物への執着を捨てて生きている自分が正しいような思いにさせられます。あの「空の鳥」と「野の花」の様に、自然に身を任して生きるのも、一つの選択と決断なのでしょうか。秋風が吹き始めたのに、「戻りの夏」の今日この頃です。

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