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もう三十数年前になりますが、『中国旅行をするから一緒にどうですか!』と誘われて、出かけたことがありました。初めての中国訪問でした。実は、父が青年期に、旧満州の奉天(現在の遼寧省瀋陽です)で、しばらくの時を過ごしたことがあって、父の足跡を追いたいと思って参加しました。
ところが、瀋陽は旅行計画にありませんで、私が連れて行ってもらったのは、首都・北京でした。最初の印象は、自転車が、まるで洪水のように、道路にあふれていたことでした。まだ自動車社会が出来上がる前で、車も「的车deche」と呼ばれるタクシーと公共バスがほとんどで、信号がありませんでした。
道路は、どこでも人が渡っていて、自転車と人がせめぎ合っていました。人も波のような動きを見せていたでしょうか。そんな中、タクシーに乗って連れて行ってもらったのが、「胡同hutong」と呼ばれる、道幅に狭い横道、小道、生活道路でした。夏では演題が出されて、そこに座りながら話し合うと行った雰囲気にある、そんな家と家の距離が近くて、「下町」の感じが溢れていた街中でした。
今でも、急激な都市建設の波の中で、観光名所としての残されているそうです。東京の「銀座」のような中心街を、北京では、「王府井wangfujing」と言いますが、その近くの胡同だったでしょうか。私たちが住む街にも、古い街並が残されていますが、今は、観光用に、ほとんど建て直されてしまって、『こんなだったんだろうか!』と思うだけで、古さはなくなっています。
きっと、内陸部の小都市には、そう言った「巷間(こうかん)」が残されているのかも知れません。清朝の時代の「紫禁城」、古代の皇帝が礼拝を捧げた「天坛tiantan」、万里の長城の「興安嶺xinganling」などにも連れて行ってもらいました。いまでは、中国中の街には、ケンタッキーやマクドナルドが、どこにも溢れていますが、訪問時には、『つい先ごろ開店したばかりです!』と言う、マクドナルドを見た記憶があります。当時は、海外からの旅行者専用の貨幣があって、それしか使うことを許されていませんでした。そんな旅行をし、その後、フフホト、上海、広州を訪ねました。
帰国後も、二度ほど中国に参りましたが、2006年、12年前になりますが、その年の8月末、1週間を過ごした香港から、長距離寝台列車で、北京に入ったのです。26時間も掛った長い列車の旅でした。北京駅に着いて、迎えにきてくれた車で、天津に入ったのです。その街で、1年間、「紫金山路zijinshanlu」の脇に住み始めて、自転車に跨っては、街中を右往左往したのが、昨日のことの様に懐かしく思い出されます。住んでいた「公寓gongyu/アパート」の近くで、北京オリンピック大会のサッカー競技が行れるとのきとで、その球技場を建設し始めていた頃でした。
今日は、8月25日で、12年前の今日に来まして、ちょうど12周年になりました。その日々を、思い返したところです。感謝な日々でした.
(天津にあった租界の「五大道」の碑です)
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