女医

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『もし医者がいなかったら?』、と想定しますと、今、私は生きていないのです。そうでなければ、ずいぶん不自由な体になっていることでしょう。もし、あの肺炎が奇跡的に治っていても、両腕の肩の鍵盤を断裂してますので、手を挙げることができずに、ぶらりと下げているだけで、かろうじて、振り子の様にするなら、挙げられことができるだけでしょう。中耳炎で、切開手術をしなかったら、耳は聞こえなくなっていたでしょうし、鼓膜も破れてしまったので、聴力が劣ろえていたことでしょう。

医学の力によって、この年まで生きてこれたのを実感しています。昔、《医は仁術》と言われ、憐れみが社会の中に満ち溢れていたそうです。私は医者に助けられて生きてきた割りには、医者になりたいと思ったことがありません。でも、心の医術ならしてみたいと思ったのです。自分に術があるのではないですが、《善き医者》を紹介することならできます。

日本に近代西洋医学をもたらした人に、シーボルトというドイツの医師がいました。1822年に来日し、長崎の出島に「鳴龍塾」を開き、多くの日本人に、医学を教えた功績は実に大きなものがありました。教え子に、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴らいがいます。伊藤の養子は、明治天皇の侍医、その孫は、昭和天皇の最後を看取った侍医でした。

このシーボルトは、来日初期に、楠本滝と結婚し、イネと言う娘がいました。イネは、日独混血でしたので、偏見からいじめを受けます。それにめげず、医学を学び、日本最初の西洋医学医、産科医となって、明治期に医学会で活躍した、誇り高き才女・女性医師でした。

いまだに、日本の社会は、女性軽視、差別、蔑視をするのです。先進諸国の間では、女性が、どの分野でも多く登用されない稀な国です。出産するから、生理があるからでしょうか。でも、上は大臣から、下は私まで、みんな母の子宮に宿って、産道を経て産まれたではありませんか。

どうして大相撲の土俵に、女性は上がってはいけないのでしょうか。高校野球で、バッターボックスに、女性部長は立っったら、どうして叱られなければならないのでしょうか。日本神話の天照大神は、女神ではないでしょうか。大英帝国では、国民の上に、「女王」を戴いているではありませんか。威張っていたヒトラーもムッソリーニもスターリンも、みんなお母さんに頭も上がらない子どもでした。

(長崎の出島の図です)

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