春望

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「杜甫」の詠んだ詩に、「春望」があります。

国破山河在 城春草木深
感時花濺涙 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵萬金
白頭掻更短 渾欲不勝簪

✳︎読み下し文
国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり)
城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし)
時に感じて 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじて はなにもなみだをそそぎ )
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんで とりにもこころをおどろかす)
烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり)
家書 万金に抵る (かしょ ばんきんにあたる)
白頭掻いて 更に短かし (はくとうかいて さらにみじかく)
渾べて簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす)

✳︎訳文
国都長安は破壊され、ただ山と河ばかりになってしまった。
春が来て城郭の内には草木がぼうぼうと生い茂っている。
この乱れた時代を思うと花を見ても涙が出てくる。
家族と別れた悲しみに、鳥の声を聞いても心が痛む。
戦乱は長期間にわたって続き、家族からの便りは
滅多に届かないため万金に値するほど尊く思える。
白髪頭をかくと心労のため髪が短くなっており、
冠をとめるカンザシが結べないほどだ。

「詩聖」と言われた「杜甫」でしたが、優秀な人のわりには、恵まれない一生を送っています。なかなか任官が叶わない時を過ごし、安禄山らによる反乱、戦乱の中にあった時に、祖国の実情、長安の都の荒廃を嘆いて、この「春望」を、杜甫が詠みました。芭蕉が共鳴する様な、唐代版の「わび」とか「さび」を感じさせるものを詠み込んでいたのでしょうか。

江戸の喧騒を離れて、深川に居を移した芭蕉に、四川省の成都に、草堂を構えて詩作に耽った「杜甫」の生き方が感じられます。何年も前に、その成都を訪ねた事がありました。訪ねた時の成都は、先週、隅田の流れの河畔の深川の「芭蕉庵」を訪ねた時と同じく、大都市の風情がして、「鄙(ひな)びた」風情などありませんでした。

「杜甫」は、唐の時代、芭蕉は、江戸初期の人で、千年ほどの時の隔たりがあるのですが、何か共通したものが、この両人にはありそうです。「詩」や「俳句」を詠み、その作品が人の心を打ち、今日でも愛誦されているのです。私にとって最も身近な中国の人は、この「杜甫」であり、中学生になったばかりに、初めて触れた大陸の文化は「春望」でした。また江戸文化を身近に触れたのは、中学1年で学んだ、芭蕉の「奥の細道」でした。

搔くほどの毛がなくなってしまいましたし、「杜甫」や芭蕉よりも長生きできている私には、彼らの感じた「悲哀」がないとの違いを感じています。隅田に架かった橋を渡り、河岸を歩いて、「芭蕉庵」に行ける距離にいながら、ちょっとばかり芭蕉や「杜甫」の心の動きに、思いを向けてみたい心境の"連休明け"であります。

(成都にある「草堂」に近くに竹の生い茂った道です)

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