親子

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<親が子の過失を詫(わ)びる>とか<借金を返済する>という事がよく聞きます。この事について、何時も、『おかしい!』と思ってしまうのです。十八歳未満でしたら、親が詫びたり、返済するのも好いかも知れません。しかし二十歳を過ぎ、また三十歳にもなって、親が出てくるのは、おかしいのです。もう大人なのですから、本人が責任を負うのが当然です。またマスコミが、親を公の場に引き出すのも、行き過ぎに違いありません。

『もう大人なのですから、あれに聞いてください!』で、好いのではないでしょうか。社会的にも、法的にも、本人が責任を問われ、責任を負い、賠償を果たし、詫びるべきです。六十一歳の母親に、二十三歳の息子の犯した事件を釈明させたり、詫びを求めるマスコミの姿勢もおかしな事です。

よく公務員や社員の犯罪に対しても、上司が、『この度は、大変ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした!』と、九十度に腰を折っての謝罪会見と言うのでしょうか、記者会見の様子が、ニュースで報じられますけど、それをしてる上司は、『どうして俺がこんな事をしなけきゃならないんだ?』と、きっと思っているに違いないと、感じています。世の中は、それを上司に求めるのです。

任命責任とか雇用責任はあるのですが、私人として犯した罪には、もう成人映画だって観られる年齢になっているのですから、本人が責任を取るべきです。いわんや選挙権を持つ年齢になったら、何をか言わんやです。

幼稚園児の息子が、薬屋の店頭のチューインガムを盗った事がありました。級友と二人でやったのです。それを見付けた私は、息子を連れて、その薬局に行き、本人に詫びさせ、親の責任において私も謝りました。盗む事が、いけない罪であるのを、園児の彼に教え、恥をかかせたのです。それ以降、息子は二度と、盗みをしなくなりました。

私は、子どもたちが大人になってからは、一人の社会人として、人様に迷惑をかける事なく生きるように願いました。過ちを犯したら、自分で処理をするようにも願ったのです。それこそが社会人として在り方だからです。子育て期にではなく、結婚し、子をなす年齢になっても、尻拭いをし続けてる親を見て、過保護も、ここまでいくと異常に思えてしまいます。

私の親は、私たち四人息子に、過干渉しませんでした。自分で生き、自分で切り開き、過ちがあったら自分で責任をとり、自ら処理するようにさせたのです。おかげさまで、随分独立的に生きてこれたのだと思います。大人になったら、自分も周りも、そうすべきではないでしょうか。
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