150年

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よく、『明治は遠くになりにけり!』と聞いていたのですが、今年は、「明治150年」だそうです。父は「明治42年」に生まれ、私は「父34才の子」で、自分が生まれたのは「明治78年」になります。ご維新後、文明開花の「明治」の御代は、随分昔だった様に、子どもの頃には感じていたのです。ところが、『まだ明治は150年なのだ!』と、今では思う様になってしまってる自分にビックリします。その反面、「明治150年」の半分以上を生きてきた自分を思うと、ちょっと複雑な気持ちがしてしまいます。

まだ丁髷(ちょんまげ)をつけて、二本差しを腰に差し、草鞋(わらじ)履きで歩き、黒船来航に度肝を抜かされたのは、そんな昔ではないわけです。高杉晋作や坂本龍馬や西郷隆盛の世代は、昨日の様に思えてしまいます。「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ばれた蒸気機関車が、新橋と横浜間に開業したのが「明治4年(1872年)」、電灯が銀座で灯り始めたのが「明治18年(1885年)」、電話が東京と横浜間で通話し始めたのが「明治23年(1890年)」ですから、今のリニア新幹線やスマホを考えると、短時間の間に、長足の進歩を遂げたことになります。

父の家で電気洗濯機を使い始め、テレビを見始めたのが1958年頃でしたから、「明治92年」の事になります。長男が生まれたのが「明治104年」になります。父や母の祖先をたどると、どこまで遡(さかのぼ)れるのでしょうか。「大爺さん(大婆さん)」は、どんな服装で、何を食べ、何を考え、どんな仕事をして生きていたのでしょうか。大陸から渡って来たのでしょうか。それとも北方から、または南方からやって来たのでしょうか。原点は、 「エデンの園」になるのでしょうか。

一世代一世代、その祖先に会って、『お爺ちゃん!』、『お婆ちゃん!』と呼び掛けて、どんな人たちだったのかを確かめてみ たくなる時があります。父に、『準は、ヒゲを生やすと俺の親父そっくりだ!』と言われて、ヒゲをたくわえた事がありました。もう父は召された後でしたが。ところが家内にも子どもたちにも不評判で終わって、すぐに、そにヒゲは剃り落としてしまいました。祖父は、ヒゲを生やして男を主張していたのでしょうか。会った事がありませんでした。最近、父の若い頃の写真が出てきたのです。十六貫の小太りだった父とは違って、若き父は、細面(ほそおもて)の美男子だったのです。どこか兄弟四人、その父に似てるのです。まあ当然なのですが。

(明治維新後の社会を象徴する「鹿鳴館」での舞踏会です)
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