若者考

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 この時代の青年像で、輝く男性は、アメリカのMLBで活躍している大谷翔平さん、輝く女性は、天皇のご息女の愛子さんでしょうか。お二人にはお会いしたことがありませんので、伝え聞く限り、素敵な生き方をされている様です。

 江戸時代に「行動哲学」があって、その中心にあったのが、「江戸しぐさ」だと言われました。百万都市だった江戸で、多くの市民が、互いに気づかいながら、どう生きていたのかを、そう言ったのです。ところが、「江戸しぐさ」でいう様な、「傘かしげ」が、江戸市中を路上で行き合う時に、行われたというのですが、疑問符を投げかけられていました。

 当時、傘は竹製で、武士階級や、豪商や花街の芸者などが使えるだけで、庶民が使っていたとは考えられないほどの高級品だったそうです。羽織を被ったり、蓑や頭を覆う笠を使っていたそうですから、実際にそぐわない「しぐさ」だった様です。どうも「都市伝説」の作り話らしいというのが、実際のところの様です。

 路上で行き合う時に、来る人が年寄りだったり、物を手に下げていたり、赤ちゃんをおんぶしていたら、狭い道なら、立ち止まって、『お先にどうぞ!」と、相手に道を譲るのは、誰もがしていることでした。江戸市中や江戸時代だけで行われていたのでなく、何処でも見られたのではないのは、市民の娯楽だった落語に、その噺の中に、「傘かしげ」のくだりがないのだそうです。どうも世界中でなされる相手への労りなのです。

 「傘かしげ」、たしかに絵になりますが、特筆していうことでもなさそうです。翔平さんが、相手の監督や審判に、チョコッと会釈したり、ベース上のゴミを取ったり、ヒマワリの種を、紙コップに入れて、ベンチの中で吹き出さないなどの行動が、取り上げられています。

 そればかりではなく、球場の清掃員のみなさんや、相手のチームの応援団に、分け隔てなく挨拶をしたり、感謝をしたりするのです。その振る舞いは、アメリカ社会では、ほとんどありえないことなのだそうですが、まさに、「バットかしげ」、それを励行する美談が取り上げられています。

 そのほかにも、推薦されるべき若い方は大勢おいでと思うのですが、この二人を、映像で見る限り、態度が美しいではありませんか。翔平さんは、日本男児の鑑の様に、アメリカのbaseballのフアンに、最大級の褒め言葉で称賛されているのです。「翔平しぐさ」とでも言えそうです。

 昔はやっていた歌に、♯ 愛ちゃんは太郎の嫁になる ♭ という歌詞の歌謡曲があって、愛ちゃんは大人気でしたが、令和の愛ちゃんは、日赤職員として就職され、特殊な環境の名から出られて活躍され、聞くところによると、残業もされているのだそうです。

 私の弟が日赤の業務に携わっていて、どうもお会いする機会がありそうですが、遠くから見られる距離にしかいなさそうで、✍️をもらいたいと思っても、頼めそうにありません。♫ ちっとも美人じゃないけれど ♬ と言う歌がありましたが、令和の愛ちゃんは人気者で、芯が強く人当たりが良さそうな方です。

 つまらない噂話が多い昨今、立派に、そして健気に生きておられる方は、何処にも多くおいでなのでしょう。令和の若者だって、素敵に青春や思春期をしているみなさんがおいでなのです。縄文時代だって同じだったのでしょう。

 そんなみなさんに、一言だけ申し上げたいのです。

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(新改訳聖書 伝道者12章1節)』

 アメーバーや偶然の積み重ねでからではなく、はっきり目的や使命を持って生きていく様に祝福されて、ご自分が造られていることを知って欲しいのです。「何の喜びもない」と言われる老年期を迎えたジイジの切なる願いなのです。

(“いらすとや”のジイジのイラストです)

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やっとの秋に

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 サトウハチローの作詞、 中田喜直の作曲で、「ちいさい秋見つけた」が、やっと歌えるような時候となりました。

(一)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

(二)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色
とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

(三)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
昔の昔の 風見の鳥の  ぼやけたとさかに
はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 詩人というのは、畳の上に寝そべって、原稿用紙を目の前に置いて、外を見つめて、何かを感じて、作詩するのでしょうか。サトウハチローは、『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この詩を書き上げた!』と言っています。

 今住む家にも、六畳間の畳の室があって、畳の感触が懐かしくなって、寝そべって窓外の空に目をやることが、時々あります。もう雲は入道雲ではなく、箒で履いた様な雲が見られる様に、やっとなったところです。

 やんちゃなハチローも、畳の上ではなく、布団を敷いたままに、横になったのです。ハゼの葉が見える様な家に住んでいたのですね。今は、秋の夜なべ、真っ暗で何も見えません。鳥の鳴く声が、細く開けた窓の間から聞こえています。

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 もう巴波川に、鴨が帰ってきて、四羽ほどが川面を泳いでいるのを、買い物帰りに見かけたのです。遠い飛行を終えての帰来で、主(ぬし)の鯉と、観光客の投げる餌を取り合う光景を目にすることができそうです。

 大陸の中国、朝鮮半島、シベリアあたりと行き来をする様ですが、あんなに小さな体で、『行って帰ります!』と、長い飛行を、古里に帰って行って、向こうで生まれたコガモを連れて帰ってきたのです。

 古里が、懐かしくなってしまいました。羽があるなら飛んで帰りたい気分ですが、そこには、今は父も母もなく、兄たちや弟もどう過ごしていることでしょうか。来週は、ちっと弱くなった次兄を、弟の最寄り駅の前で落ち合って、弟の運転の車で訪ねることにしています。かつての野球小僧が、少し弱くなっていると、弟が言っていました。

 デパ地下でお昼用の弁当を買って、訪ねるつもりです。前回は、新宿の京王デパートで弁当を三折りとTopsのチョコレートケーキと、ベランダで干した手製の干椎茸を持って行きましたが、今年は、道の駅の野菜売り場に、大ぶりの椎茸がなく作れなかったのですが、これは次回にしましょう。

 今季は、秋風を頬に感じた時、さしもの猛暑の終了に、いつになく大きな喜びを感じたのです。古里は、場所だけではなく、一緒に、育った兄弟たちとの交流の中で感じるのでしょうか。きっと二親の話になるのでしょうか。それよりも、再会を喜ぶのでしょう。十月になりましたので、やっとの秋の感がいたします。

(ウイキペディアに「ハゼの葉」、巴波川に戻って来た「カモ」です)

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