この人があっての人となり

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 最近とみに、この人の世は、騒々しいではありませんか。自己主張の強さが露わになって、押しつける様な、独断的な主張で満ちています。勝手気儘に、思っていることを表現できる時代になったのですが、規制なしの主張には、制限が必要ではないでしょうか。情報過多で、非専門が専門のふりをして、野放図に言う時代だからです。洪水の中で、オンボロ舟は難舟しそうです。

 初めての職場に出入りされていた方が、自己主張を教えてくれたのです。この方は、旧M財閥の番頭さんだったそうです。大手の物産会社の商取引を、トップでなさっていた方で、父よりも一回りほど年嵩が多かったのです。その職を辞して、小さな印刷会社でお手伝いをしておいででした。仕事人間だったのでしょう、家におさまらず、老後を原稿取りなどをしていたのです。自分の勤めていた所に、その原稿を取りに来ていた方でした。

 事務局の総務に配属された自分と、直接話をしたり、一緒について歩いたりもしたのです。食事もご馳走になったことがありました。『 出世したかったら、喋るんです。なんでもいいから率先して喋ると、道が開かれていきます。出世もできるのです!』 、これが、この方の生きる哲学だったので、出会った私に伝授してくれたのです。

 出世したい願いの薄かった私には、同級生や同期就職の人たちとの競争のスタート・ラインには着きませんでした。でも、その方が教えてくださった「実践」は確かなものがありました。その方と出会った職場を辞して、教師になり、説教者になって喋り続けて生きてきたからです。

 40年近くも、喋り続けて来たのですが、出世とは程遠い所にたどり着き、もう存在も影も忘れられてしまいました。でも今日は、ご教示いただいたのとは真反対の「沈黙の哲学」という考え方、生き方を学んだのです。

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 それは、高貴な方に長年、仕えてこられた方の生き方からの学びでした。お父さん、息子さんと長く仕えてこられ、息子さんのお嬢さんが、ある日、風邪をひかれたようで幼稚園を休んで、引きこもって、読書やお絵かきをしていたそうです。

 時間を持て余しているお嬢さんに、この方は、庭に咲いている花、タンポポとスミレ、そしてネモフィラを摘んで、ティッシュペーパーに包んで、外に出られずにいるお嬢さんに、「春」を運んできて手渡されたのだそうです。『わあきれい、ありがとう!』と感謝したのです。この方は、幼いお嬢さんが安心できる存在だったのです。

 大分の時が経って、その方が退職されるために開かれた集まりに、すでに大きくなられたお嬢さんは、一通の手紙を書いて、そっと、この方に手渡されて、その退職祝い会の部屋から出ていかれたそうです。その手紙には、次の様な感謝の言葉が綴られていました。

 『長年、私たち家族を支えて来てくださったことを、決して忘れません。』、『私が外で遊べなかった日、そっと花束を手渡してくださいました。自分のために何かをしてくださる方がいると初めて、その時知りました。』、それは、この方の思いやりへの感謝でした。『あの時のお花の匂いは、今でも覚えています。あの花束が一番嬉しかったのです!』、家には、たくさん部屋はある中で、自分が戻っていられる空間が、この部屋、この方との交わりだったのだとも述懐しています。

 『Kさんのように、だったかを静かに支えられる人でありたいと思っています。目立たないで、人の前に出ず、ただそっと苦しみや不安の中にいる人を受け止められる人でありたいのです!』と、大人になって、そんなことも綴ったのです。

 この手紙に、そのご家族に仕えたKさんは、「自分の仕事が、誰かの心に残っていた、それがだけで十分すぎるほどです。』、これこそが、「沈黙の哲学」なのです。言葉で示すことでも、行動でもなく、背中で示す生き方、仕える姿勢です。

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 この取り上げた娘さん、お嬢さんは、「愛子さん」です。Kさんは、東宮御所で、長年にわたって、愛子さまの外出時の道を整えたり、雨模様の朝には傘の用意、何気ない姿勢で、愛子さんに雑務で仕えた方でした。御所の環境維持、警備補助、日常業務で、その仕事ぶりは、表に立たない、何気ない配慮に満ちた仕事ぶりだったそうです。

 愛子さんが育ったのは、理想的な環境かと思いきや、難しい環境で成長なさり、中学校での同級生によるいじめや、教師陣の不理解、お母様への陰湿ないじめを感じながらも、立派に成長して、穏やかな人となりを持たれていて、素敵で、好感を呼ぶ人柄をお持ちなのです。日常は、日赤に就職し、公務にもあたられておいでなのには、驚かされます。人々に愛され、敬われておいでで、ここにも一人、愛子応援団がいるのです。

 愛子さまの成長の陰には、一職員に徹しておられて、心底から仕えたKさんの生き方、在り方があって、その無言の感化があって、今の愛子さんがおいでなのでしょう。愛子さんには、お会いしたことはないのですが、何か、もうひとりの孫の様に思えてなりません。

(ウイキペディアの「ネモフィラ」、「スミレ」、「たんぽぽ」です)