「甃」、この漢字は読めませんでした。「秋」+「瓦(かわら)」の合成漢字ですが。秋の瓦って何でしょうか?学校では習わなかったのです。1955年05月25日に、「広辞苑(岩波書店)」が売り出されますと、父はその一冊を買って帰ってきました。息子たちが、辞書を引いて言葉を覚えるように願ってでした。父は、漢字や言葉の意味を尋ねると、『辞書を引け!』と口癖にしていましたので、『そうか言葉を覚えるのは辞書を引くことなんだ!』ということが分かって、「広辞苑」をめくりめくり漢字遊びをよくしました。そんな遊びの中でも覚えられなかった、この「甃」ですが、辞書で見ますと「いしだたみ」と読み、当用漢字では「石畳」と書くのだそうです。私たちの国の漢字の母胎である中国漢字を調べてみましたら、名詞で〈井戸の内壁の煉瓦〉、動詞で〈敷石を積む、石畳にする〉と出ていました。中国漢字の辞書だと、「いしだたみ」は、「石板小路」とありました。
漢字が読めないで恥ずかしい思いをしたことが何度もあります。次男の家にいましたとき、学生服を着た芸能人の回答者が、難しい漢字をスラスラと読んでいたテレビ番組を見て、本当に驚かされました。この人たちに比べて、『自分の語彙力はなんと劣っているのだろう!』と思わされ、恥ずかしくなってしまいました。どこかの家に「難読漢字」という本がありまして、パラパラと見ましたが、なかなか何回読んでも難解でした。
この『右者全日本健康優良児童表彰会規定ニヨリ健康優良ナル者ト認ム仍テ之ヲ表彰ス 』の文章は、昭和20年7月25日 に、全日本健康児童表彰会が健康優良児を表彰したときの表彰状の文面です。『右の者・・・』と読む人がほとんどですが、正確には、『右は・・・』と読むのです。卒業証書を読むときも、『右は・・・』なのです。思い違いをしてしまう方が多いのですが、なぜか(自慢のつもりはありませんが)、私は、正確に読めたのです。どなたかが、そう正しく読まれたのを聞いて覚えたのだと思います。そういえば、長らく住んでいた県下に、「忍草」、「右左口」、「黒平」、「百々」などという地名がありました。『しぼくさ』、『うばぐち』、『くろべら』、『どうどう』と読むのです。かな読みの地名が先にあって、それに漢字を当てたからなのでしょうか。または、大陸から渡来し、帰化した人たちとも関係がありそうですね。本当に、何度読んでも難読なのには閉口してしまいます。
そういえば、「駒場」、「高麗川」、「狛江」、「南巨摩」は、すべて『こま』と読みます。朝鮮半島の「高句麗」と深く関係があって、日本の地名や川の名になっているそうです。「畑」、「秦」、「羽田」、「幡」も、『はた』と読んで、中国から渡来した一族「秦氏」の名にちなんで姓や地名とされた漢字のようです。うーん、漢字の世界は深淵ですね。