農暦

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 先日、学校の先生と話をしているときに、『来年、26才になります!』と言われたので、2014年に、26才になると思っていましたら、そうではなかったのです。今年、すなわち2013年に、26歳になるのです。この話の行き違いを説明しますと、中国では「農暦、nongli(旧暦)]を使いますので、2013年の場合は、2月10日が、「春節」の新年の「元旦」になりますから、この人の言った、『来年・・・』とは、来月に「正月」を迎えてからのことを言ったことになります。

 話の中で、『誕生日は何時ですか?』とお聞きしますと、私たちは、「西洋暦(新暦)」で答えると思って、『そうですか12月17日なのですね!』と答えると、実は旧暦の「12月17日」のことを言っているのです。それで、『公の証明書などの誕生日は、いつになるのですか?』とお聞きすると、「西暦」で記入するのだそうです。

 日本でも、『今年、〈数え年〉で17才です!』という場合が、昔はありました。私の父は、『数えで・・・』と言っていたのを覚えています。西暦で、1月7日に生まれたら、旧暦の正月が、一月か二月にあります(毎年変動しています)から、その正月を迎えると、生まれて一月もたたないうちに、もう2歳になってしまうわけです。今では、ほとんど「数え年」を使わなくなり、ほとんどの人は「満年齢」で数えるようになっていましたから、私のような者でも、旧暦の考え方のできない世代だということを知らされているわけです。

 ですから誕生日をお聞きしたら、『それは〈農暦〉ですか?』と聞くことにしているのです。このへんが、急激に西洋化してしまった日本人の私の「文化的葛藤」なのであります。面倒なことでありますが、自分の国に伝わる伝統を守るのは大切なことなのかも知れません。日本人の男性、武士階級は「羽織袴」、それ以外の男性も女性も、帯をしめた「着物」を普段着て生活をしていましたが、「欧化」の中で、いっぺんに着る衣服を、欧米式に変えてしまいました。頭髪もそうでした。「ちょんまげ」から、「ざんぎり頭」に変えたのです。法律によってでした。こういった急激な変化をしていくのが、明治以降の日本人の特徴の一つなのです。大工などの職人は、「角刈り」にイキにし、戦後、「太陽族」と呼ばれて青年たちは、「慎太郎刈り」をしていたのです。「ざんぎり頭」になっても、様々に工夫をしている、これも日本人の特徴でしょうか。

 そういった文化と伝統の中で育ってきた私のような人間ですが、歳のせいでしょうか、懐古趣味が、なんとなく首をもたげてきているのを感じるのです。『この街を下駄でカラコロと歩いてみたい!』と思っているのです。そうしましたら、西湖公園のお土産屋の売り場で、何と中国風の下駄が売っていたのです。聞きましたら、『昔は下駄も履かいていたんですよ!』と言われたのです。それで、もし私が下駄で、「五一路」を歩いていたら、きっと石が跳んでくることでしょうから、やめにいたします。

 間もなく、「春節」がやってきます。ヨーロッパ人が、太陽の光が帰ってくる「冬至」を待ち望んだように、中国のみなさんもまた、春の到来を待望しているのです。そんな期待感が、店頭に並び始めた「正月用品」に見られるようなってきました。「春天快要来」の新暦一月の中旬であります。

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