《39.3℃》、日曜日に、冷房の中でうたたねしていて、『さむい!』と思いながら、消さないで昼寝を続けていました。月曜日になって、キリキリと頭が痛み始め、咳がではじめ、寝込んでしまいました。体温を測ると、この体温でした。《冷房に弱い》、これが私の体質なのかも知れません。あるとき、一日のセミナーに出席していました。『やけに寒いな!』と思いながら、我慢していましたら、この時もまた風邪を引いて寝込んだのでした。今とは違って、私たちの国でも冷房機具などなかった時代に、私たちの世代は育ちましたから、こんな厄介な病気にかかることはなかったのです。
夏には扇風機はあったでしょうか、冬には炬燵もあったでしょう。『暑かった!』とか『寒かった!』という感覚の記憶はほとんどないのです。貧しい時代の記憶というのは、次第に薄れていくのはないでしょうか。結婚した当初、東京の都下で世帯を持ったのですが、クーラーはありませんでした。それでも問題なく生活できたのです。それからしばらくして中部の山岳地帯の街に移り住んだのですが、子育て中のわが家にはクーラーはありませんでした。私の師匠の家にはあったのですが。アメリカの南部の田舎町で、大きな電気商を営んでいた家庭で育った彼には、それは生活必需品だったに違いありません。少し羨ましかったのは事実ですが。
熱にうなされながら、家内がアイスノンを頭に当ててくれて、『水をどんどん飲んでね!』と勧めてくれました。汗をかき、下着を変える、それを繰り返しながら、昨晩になってから、やっと37.2℃に体温が下がってきました。39℃というのは、半世紀ぶり以上の経験だったようです。小学生のとき、学校を休んで寝ていると、頭がクラクラとして、天井を見ると、その節目がだんだん大きくなったり小さくなったりする《幻覚症状》があったのです。今回の家には木板の天井材は張られてありませんで、コンクリートに白い塗料が塗られてあるので、そういった幻覚はありませんでしたが、小学生の頃を思い出していました。
昼頃になると、熱が下がってきて、食欲が出てくるのです。すると母が、『お刺身でも食べる?』といっては、リヤーカーで挽き売りをしてくる栗山さんから買ってきて、ホカホカにたいたご飯で食べさせてくれたのでした。今回も、そのことを思い出して、『刺身が食べたい!』と女房に言おうと思いましたが、こちらでは、なかなか手に入りそうにない代物(しろもの)ですから、その言葉を飲み込んでしまいました。その代わりに、大根おろし、どこかで見つけてきた梅干し、おかゆを作ってくれて、やっと昨晩は食べることが出来ました。いつも食欲があるのですが、今回は、食欲がなく、日曜日の晩に、友人夫妻が持参してくださった大きなスイカだけを食べていたのです。
この《冷房病》というのは、科学病、現代病、贅沢病と言えるのでしょうか。いやー、夏の高熱というのは、実にきついものです。貧乏育ちのわれわれの世代には、どうも似合わない電化機具に違いありません。食欲が出てきたので、食べたいものを思い巡らしている今であります。好きなスイカが、なおのこと好きになってしまいました。