この日によろこびたのしまん

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 二月になりました。陽の光が、強く感じるようになってきて、窓から入る陽に、いよいよポカポカさを感じるようになってきました。昨日は、通院で、宇都宮まで東武宇都宮線の電車で出かけましたが、車窓から入る陽が強く、日除けが下されるほどでした。

 私たちの国では、二月を「如月(きさらぎ)」と呼んできています。中国の古語辞典には、「二月を如となす」とあり、「従う」、「赴く(おもむく)」と言う意味が、この「如」の漢字にあると言われています。それで、中国では、「如月」と呼ぶそうです。

 この月の「如月」の名の由来には、いくつも説があるようです。最も有力なのは、「衣更着(きさらぎ)」だそうです。実に昨夜は、いつもの夜具では寒かったので、夜中に、一枚重ね着をしてしまいました。暖かさへの期待は大きいのですが、現実はまだ寒いので、そうするのでしょうか。実感として、衣更着の昨夜でした。

 また別名もあります。「木芽月(このめづき)」や「梅見月(うめみづき)」、さらに「雪消月(ゆききえづき・ゆきげつき)」などがあるそうです。俳人や歌人が言ったのでしょうか、そんな風に思えるのも楽しいもので、暖かな春への期待が大きく膨らみそうです。

 そう言えば、中国の華南で過ごした年月が長かったので、中国のみなさんの新年を迎える気持ちの大きさを、いつも感じていました。旧暦で定める「春節」を迎える、高揚感、期待感が大きいのを痛切に感じたのです。今年は、210日が春節なのだそうです。

 晴れ着を用意し、ご馳走を作り、親族が集まるのです。子どもたちは、「紅包(hongbao お年玉)をもらえるのです。四人ものおじいさんやおばあさんから、親戚から、訪問客からももらえるようです。「紅」の色はお祝いの色彩で、スーパーマーケットなどの売り場には、真っ赤な下着が山のように積まれていて、赤一色に飾られていたのは圧巻でした。

 寒い冬が終わる区切りだったのでしょう。また新しい年、その年への期待感が大きかったのです。自分たちの子どもの頃、昭和は、お正月を迎える気持ちは大きく膨らんでいたのです。お雑煮とおせち料理、お年玉、追い羽根つき、駒回し、凧揚げなどに興じたのです。

 能登半島での地震による被害の大きさに驚かされ、ウクライナやイスラエルなどでの戦争、そのほかの紛争など、国内でも騒がしくも暗いニュースが溢れていますが、私を励まし続けてきた聖書のことばがあります。

 『これヱホバの設けたまへる日なり われらはこの日によろこびたのしまん。(文語訳聖書 詩篇11824節)』

 記念日だけではなく、365日のすべての日を、感謝をもって喜び、楽しむことを願っています。きっと暗い日も、涙の日も、苦しみを味あう日もありますが、「主への期待」を、心に溢れさせていたいと思っています。

(ウイキペディアによる紅梅です)

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