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 「面壁九年」、一つのことに忍耐強く、専念して、やり遂げることの譬えとして、このように言い表します。長い修行によって、一芸に秀でることですが、その反面、生まれながらに身につけた才能を持っていて、それほどの努力なしで一流になって活躍する人もいます。

 なかなか芽が出ないで、壁に向かって演説の練習をし、ボール撃ちをするテニス選手のなどがおいでですが、自分も、ラケットを引っ張り出して、運動公園の壁打ちをしたりしたのですが、寄る歳なみで、もう続かなくなってしまいました。

 iPadのキーボードに向かって、ブログ作成を始めて、だいぶ年が経ちます。自分の過去の思いや、まだある将来の夢や、叶えれれなかった願いや、出会った人や思想や出来事を、機械に向かって打ち込む作業も、何となく「壁打ち」に似ているように思うのです。

 冬場、炬燵に入って横になり、腕を組んで目を瞑り、寝ているのではなく、何かを思っていた父の姿が思い出されます。亡くなる少し前の父の姿です。父よりも二十年ほど多く生きて来て、自分を重ねながら父のことを思い出して考えています。

 親は、自分の果たせなかった夢や願いを、子に託すことが多くありそうです。長男の兄には大きな期待を向けていたのでしょう。次男の兄は実業界に早く送り出し、三男の私には好きなように生きさせてくれ、末っ子の弟には、教師になりたい希望を叶えようとしたのだと思います。四人四様に自立して、これからの活躍を目にしたかったのに、還暦過ぎの父は六十一で亡くなってしまいました。

 父の前に立ちはだかり、このお自分の前にもある「壁」、今のそれは無言の石やコンクリート作りではない、有言無言の「壁のようなもの」を感じるのです。生き終えた人が、直面していた「老い」や「死」の到来なのかも知れません。もうそれを払い切れない現実の中にあります。

 病んで、入院して、老いを見せている私たちを、心配して、息子や娘たちや孫たちが、訪ねて来ます。『一緒に暮らそ!』と、この暮れに、2週間の予定で、孫娘と一緒に訪ねてくれた娘が、一言言ってくれました。その気持ちが嬉しかったのです。海の向こうに住みながら、そんな気持ちを向けてくれたのです。

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 「進撃の巨人」だったら、高い強固の壁を打ち破って前進できるのでしょうけど、強がって生きて来て、父の老いを理解して上げられないまま、父が帰天してしまい、温泉にも連れていきたい、好きなきんつばを思いっきり食べさせて上げたかった思いだけが残っています。

 あの時、腕組みで目をつぶっていた父の思いが、何となく分かるような思いにされている「今」なのです。果たせなかった夢もあったのでしょう。辛い経験もあったことでしょう。育った家庭のこともあったのでしょう。両親や友人や同僚との出来事もあったのでしょう。青春の蹉跌や挫折、戦時下の苦悩、物不足の戦後のこと、子育てのことなどなどです。そして「老いていく自分」がいたのでしょう。

 二十代半ばの私が感じた、父が面壁していた「壁」が何だったのか、思ってしまうのは、自分も直面している「壁」があるからなのでしょう。あんなに盛んに咲き誇っていたベランダの花が、寒さの中で、徐々に咲き終わって、春の到来を待っているように、私には、「永世の望み」、「救いの完成」、「天国への帰還」、「救い主との直面」の時が迫っています。

 「壁」の向こうに、そんな素敵な「憧れ」の時が待っていてくれます。家内が呼んでくれた救急車に乗って、人生の終点を感じた先月、それでも退院後、初の温泉行きをした昨日、温泉に浸かって感じた温もりが、実に快適でした。家内はデーケアに行き、娘と孫娘を誘ったのです。一緒に昼食を摂り、談笑し、再び温泉に浸かりました。

 帰り道に、皇帝ダリアが綺麗に咲き誇っているのが見られました。孫娘が、珍しい景色に、スマホをかざして写真庫に収めていました。帰りにシジミと蓮根とを買って帰ったのです。雨も上がり、青空が広がって来ていました。

( ウイキペディアによる「皇帝ダリア」、「カレーうどん」です)

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