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茨木のり子に、「汲むーY.Yにー」と言う詩があります。
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました私はどきんとし
そして深く悟りました大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
この詩は、少女の頃に、憧れの女優の山本安英を訪ねた時の経験から、茨木のり子が詠んだ詩なのです。何も分からないのに生意気で、背伸びをしていた自分に、山本安英が、『人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね。』と語ってくれたようです。
茨木のり子は、1926年生まれで、山本安英は、1902年の生まれで、24歳ほどの歳の差、親子の世代の違いがありました。山本安英が新築地劇団の団員だった頃でしょうか、訪ねた茨木のり子は、反抗したのではなく、『たかをくくるな、なめてかかるな、ということを教えてくださった気がします。』と後年、思い返して、茨木のり子は感謝を込めて振り返って詩作しています。
叱ったり、諭したり、教えてくれる人を持つことは、有益なのです。そう語られたことを、しっかり受け止めたのです。自分の実態、事実を教えてくれる助言者がいて、茨木のり子は、自分の未熟さや幼稚さを知らされたわけです。
若い日に恥をかくべきです。それ無しに成功してしまうと、大恥をかくことになるのです。秘められたり、感謝されてしまうと、人は尊大になったらおしまいです。「山月記(中島敦作)」に、次のようにあります。
秀才の李徴が平凡な役人の仕事に満足できず、詩で名声を得ようとしますが挫折し復職します。その時にはすでに友人が出世しており、李徴は〈臆病な自尊心〉と〈尊大な羞恥心〉のために人付き合いが出来なくなってしまい、絶望し、発狂してしまうのです。その苦しみや羞恥心のあまり、虎になってしまうのです。李徴は昔の友人と森の中で再会し、自分の運命を語ります。いたたまれなかったのでしょう二声三声ほえて、藪の中に走り込んで、二度と自分を現さなかったのです。
この話は、中国の「人虎伝」が元になっていますが、自尊心は、どうにかして砕かれるべき必要がありそうです。夜遅くに訪ねて来ては、真夜中になって帰って行かれるご婦人がいました。家内は一日中、人を訪ねたり、教会の用をしたり、4人の子育てをしていました。訪ねてくる人は、独身で、ほぼ同年齢でした。ある時、宣教師夫妻が訪ねて来た交わりの中で、私が、皮肉を言ったのだそうです。
日本語をよく理解できない宣教師さんが、『準、皮肉はいけない!』と言って叱ってくれたのです。〈事実〉を語るのはいいのですが、〈皮肉〉はダメだとの教訓でした。それ以降、私は注意して皮肉を語らなくなったのです。恥じて学んだからです。あの無意識の皮肉を聞き分けた、宣教師さんに驚くと共に、感謝したのです。人は恥じて、多くを学ぶのでしょうか。
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