Aloha.

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 ワイキキの近くに、大きな公園があります。ハワイに行きました時に、そこでハワイ先住民の集いがあって、招かれて参加したことがありました。そこで、記念式があり、家内の姪の友人で、ハワイ大学の教授が表彰されていたのです。

 何が評価され、表彰されたのかと言いますと、白人社会になってきたハワイ社会で、先住民は少数派になって、蔑ろにされる傾向が強くなる中で、この方は、弱者で少数者たちの味方になって、様々な活動をされてきたそうです。

 ハワイ州は、136万人の人口のうち、50万人ほどが先住民で、現在では、3分の1近くになっているのです。北海道の先住民のアイヌや、アメリカ合衆国の先住民のインディアンと同じ様な、民族の悲哀を感じている現状の様です。

 かつてはカメハメハ大王の支配する「ハワイ王国」でした。この王国の主要産業が、<サトウキビ栽培>で、その労動力を、中国や日本に求め、明治期の日本から、このサトウキビ畑で働くために、多くの人が農業移民をしたのです。

 ハワイは王国から共和国に移行したのが、1894年でした。1898年には、アメリカ合衆国の「準州」になり、1959年には、合衆国の50番目の州になっています。

 家内の姉を訪ねて参加した集いには、「ハワイ王国」の国旗も掲げられていました。どうもアメリカへのハワイ併合には、違法な点があったそうで、アメリカ合衆国上下院の両議院では、その非を認めています。因みに1984年には、日系人のジョージ・アリヨシが州知事に選任されています。

 日曜日に集った礼拝にも、日系五代目のご婦人がおいででした。農奴の様な苦労をした方たちの子孫が、ハワイの社会の様々な分野で活躍をされておいでなのです。また、記念式で表彰された方は、中華系移民の子孫で、福建省の出身の祖先を持っておられると言っていました。片言の日本語もしゃべることができました。

 本来なら、友人たちが、この方の表彰を祝してお祝い会をすべきなのに、彼が主催の「食事会」を、ホノルルのダウンタウンの中華街のレストランで開かれたのです。そのテーブルを、私たちも一緒に囲むことができました。久しぶりの中華料理を美味しく頂戴した次第です。暮れなずむホノルルの下町は、結構静かだったのが不思議な感じでした。中国で、私たちに住む街の、ショッピングモールの人の波を見続けてきたからでしょうか、静けさと落ち着きに驚きました。

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Last King Kamehameha Statue

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 港の方を見てたら、子どもの頃に流行っていた歌を思い出してしまったのです。昭和23年に、石本美由紀の作詞、江口夜詩の作曲、岡晴夫の歌の「憧れのハワイ航路 」です。

晴れた空 そよぐ風
港出船の ドラの音愉し
別れテープを 笑顔で切れば
希望はてない 遥かな潮路
ああ 憧れの ハワイ航路

波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
1人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハ・オエ
ああ 憧れの ハワイ航路

とこ夏の 黄金月
夜のキャビンの 小窓を照らす
夢も通うよ あのホノルルの
椰子の並木路 ホワイトホテル
ああ 憧れの ハワイ航路r

 あの頃は、船でハワイやアメリカ本土に出かけていたのですから、結構長い旅をしていたことになりますね。

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