それでも

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 小学校にも中学校にも、薪を背負って、歩きながら書を読む「二宮金治郎像」がありました。これから学ぶ子どもたちに、倣うべき模範の人物が、農政改革、農業の改善や増収のために、その果たした功績の多大な人物として訴えかけ続けてきたわけです。教育者の中には、この人を挙げるのに異議を唱える人などいません。

 わたしも背負子(しょいこ/弟が山小屋の仕事で使うために小屋主に作ってもらった物でした)に薪や荷物をつけて、金次郎のしたことに真似たことがありましたが、漫画を見ていただけで、その精神に倣うことはありませんでした。でも、その門をくぐった校舎の教室や、その他の教室で、多くの忍耐強い良き教師に教えられたことには感謝が尽きません。

 わたしの学んだ小学校の校歌に、『鏡と見まし山と川と』と一節がありました。遠望する逞しく聳える富士山を仰ぎ、多摩川の押し流す清流を見ながら、切磋琢磨して、奮励努力して学んで欲しいという願いが込められていました。

 今朝の新聞に、県下のある小学校の校門の脇に、その二宮金治郎ではない、一人の人物の像が置かれているのだと掲載されていました。わたしは、これを読んで、この街の大人たちは、この人を鑑にして、小学生たちが、その人から学んで、生きていって欲しいと願ったに違いありません。

 その人は、野口英世です。福島県の猪苗代の人で、郵便配達を仕事としていたお父さんの子として生まれ、幼少期に囲炉裏に落ちて手に傷を負います。その負った手の傷を治してくれた医師に倣って、医師を志して学び、後に細菌学者として生きた人でした。

 黄疸や梅毒の研究による業績によって、多くの賞を国外から贈られいます。でも、これから学ぶ小学生が、模範としていく人物としては、どうしても首を傾げたくなっているわたしなのです。人が生きていく方便があり、それを上手に使って生きていく才が、この人にはあったようですが、それはいいのです。一番気になるのは、梅毒のスピロヘーターという細菌の研究、ワクチンの開発のために、何をしたかが問題なのです。

 研究の被験者に、ついての記事が、次の様にあります。「571人の被験者のうち315人が梅毒患者であった。残りの被験者は「対照群」であり、彼らは梅毒に感染していない孤児や入院患者であった。入院患者は既にマラリア、ハンセン病、結核、肺炎といった様々な梅毒以外の病気の治療歴があった。対照群の残りは健常者であり、ほとんどは2歳から18歳の子供であった(ウイキペディア)。」

 そして、被験者から、〈同意を得ていない点〉が一番の問題なのです。人間の弱さは、誰もが持ち合わせていますが、若い頃の行状は、不問にふされてもいいのかも知れません。でも、1928年、51歳で死んだ時に、黄疸病に感染したことが原因だとされますが、亡骸の解剖によって、若い頃に罹患した梅毒が直接の原因だとも判明されています。自堕落に青年期を過ごしていたのです。

 偉くなったし、その勇名を世界に鳴り響かせたこと、多くの褒賞を得たことは、驚くべきことです。命懸けで生き、人間性も何もかもがごちゃごちゃとした人間像は、小学生の model には、相応しくないのではないでしょうか。

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 業績だけが大切で、そのためにやった非人間的なことには目をつぶるなら、結果だけが人間評価の基準なのでしょうか。人生のすべての中で、どんな人間観、患者観、研究者の理念、在り方などで、疑問視される様な人物は、自分の孫たちに、『鑑としなさい!』とは言えません。

 街の桶屋のおじさんが、良い桶を作ることだけに専心して、鉋を使って作り上げ、それを喜んで使ってくれるお客さんの必要のために生きて、ただの桶屋さんで一生を終わった人の方が、小学生の模範になるのではないでしょうか、誠実さや勤勉さなどの方がいいからです。もちろん若気の至りを悔いているなら、いいのでしょうが、それでも、なのです。

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