愛でる

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 『主は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。 地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。(創世記11112節)』

 毎年、春になると台所の洗い場( sink )の下の扉の中の冷暗所に、水を含ませた tissue paper を置き、その上に朝顔の種を蒔くのです。芽吹かせるためにです。芽が出てくるのを見て、土に植え替え、そして鉢に植え替え、庭やベランダに置きます。これをもう何年も何年も家内が続けてきました。華南の街のアパートのベランダでも、日本から持って行った種を植えたのです。

 まさに「婦唱夫随(ふしょうふずい)」で、green を愛(め)

でる思いが与えられ、ベランダ活用術を心得た私も、調理や食器洗いだけでは、種を蒔いたり、苗を植えたりしています。綺麗に咲くのです。今年も、もうすでに、寒風の中、ベランダでは何種類もの花が鉢の中で咲き、室内では、胡蝶蘭の鉢が四つもあって、もう10輪も咲き始めています。

 これを眺めていて、あんなに綺麗に咲く花に、時々水遣りをするのですが、土と水で、真っ白やビロード色の蘭が咲いてくるのが不思議でならないのです。花を咲かせている「力」は、どこからくるのでしょうか。あの色彩は、何が「作用」しているのでしょうか。わずかな水を吸い上げていくのは、どんな「ポンプ」が、花の根や茎に内臓されているのでしょうか。

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 今住んでいるアパートは、5階建てで、台所や風呂場や洗面所の水は、pomp up したものを水圧を調整しながら、けっこう複雑な設備が上層部にあって、給水機能が維持されています。年に何回か、半日ほどかけて、清掃や整備が行われています。人が設備して、維持管理されていて、その水で先ほども洗面を終わったわけです。

 ところが、窓辺の胡蝶蘭は、ポンプもないし、点検もしないのに、今、10輪ほど咲き始めていて、芽は各枝に10個ほどあって、順次咲かせているのです。花芽でしょうか、花でしょうか、その配列も一定していて、茎の方から先端に向けて、順次咲いて、長く楽しませてくれるのです。 

 根の中に、何の細工もないのに、あんな細い茎を伝わって水分、栄養分を送り続けていくのは、何なのでしょうか。生物学者は、「根圧(または浸透圧とも言うようです)」と言うそうです。何が、その圧を加えているのでしょうか。植物の本能なのでしょうか。その本能は、どういう風に備わったのでしょうか。人は知らないのです。科学では説明できないことです。

 野の草でさえ、創造の御手によってできなかったものはありません。意図され、計画されて造られた一本の木や咲く花を、養い育てる、創造の神がおられ、このお方がなさった以外に考えられません。数ミリの胡蝶蘭の根や茎の中に秩序よく水を送り、養い育てておられるお方が、私をも生かしているのです。また新しい朝が来ようとしています。

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