Never give up

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ヨーロッパが、ナチス・ドイツの世界制覇の野望のもと、危機的な状況下にあった、そんな時に、イギリスの首相に就任した、ウインストン・チャーチルは、イギリス国会の下院で、次のように演説をしました。

 『我々は最後までやるつもりだ。我々はフランスで戦う、我々は海で戦う、我々は日々大きくなっていく自信と力でもって空中で戦う。我々はどんな犠牲を払おうとこの島を守る。我々は海岸でも戦うだろう。我々は水際でも戦うだろう。我々は野で、街頭で、丘で戦うだろう。我々は決して降参しない。例えこの島やその大部分が征服され飢えに苦しもうとも、私は降参を信じない。我々の陛下が海の向こうで英国艦隊に守られ、陛下の全ての力と権力によって、神のよき時代の中へ、彼らを古きより救い新世界へ解放する歩みを進めるまで、努力を続けるだろう(1940年6月4日)。』

 やはり光輝ある大英帝国の政治的な指導者の決意は、違っていました。決して揺るぐことも、ずれることもなかったのです。しかも英国一国だけを守備するだけではなく、ヨーロッパ全体に思いを向けていたのは、驚くほどでした。その度量の大きさは、さすが英国国民の長でした。そして、チャーチルの言葉で忘れられないのが、

 “Never, never, never, never give up(決して、決して、決して、決して諦めない)!

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 私も、『最後まで諦めない!』で、与えられた一度きりの自分の人生を全うしたいと願っています。年をとり、肉体は衰え、例え病気がちになったとしても、そして息子や婿や孫に背負われても、最後の日まで、諦めないで、<双六(すごろく)>のゲームのように、《上がろう》と決心しています。私も抱えている、「魂の闇」に負けないで、この馳せ場を走り抜き、光り輝く中を昇華したいものです。

 思い返しますと、ずいぶん長く生きてきたものです。6歳で、17歳で、19歳で、35歳で、そして59歳で、何度も何度も死の危機に直面しながらも、生きることが、許されての今日なのです。ですから、老いの明日に夢を繋いで生きて行こうと、改めて決心しています。

 ヨーロッパでは、風雲急を告げそうな様相を呈していますし、北関東ではまた雪も舞いそうですが、確実に春が来ようとしています。年齢的に、もう十年生きられるでしょうか。でも残された日を、意味あるものにして生きていきたいと思うのです。人生のあちこち痛い晩年を過ごしている今、孫たちの成長ぶりが伝えられてきています。英検合格、水泳大会の活躍、高校合格、baseball の新season 開幕など、青春を謳歌しているのです。孫たちの結婚式出席や、ひ孫を抱くことなど、まだすべきことがありそうです。

 明日に夢を繋いで、今日を輝いて、家内と一緒の時を生きていきたい、そんな思いの2月です。誕生日にもらった胡蝶蘭が、窓辺で第三期目の花を、四つの鉢で5輪ほど開きました。もう春の陽は、強く差し込んできているのです。私も Never give up  なのです。

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