『それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイ7章12節)」
『お子さんは何人ですか?』と聞かれた私は、『4人います!』と誇らしく答えたのです。それを聞かれた知人の奥さんは、声を上げて笑ったのです。多過ぎると思ったのでょうか、そんな反応を見せた人は、これまでいませんでした。大体2人、多くても3人、4人は多過ぎるのでしょうか。聖書には、
『若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(詩篇127篇4節)』
とあります。私たちの「矢筒」の矢は、多過ぎると思ったことがありませんでした。他にも、事情のあった子どもが、わが家には、よくいたのです。狭い家に、窮屈だったし、調理も大変だったし、忙しかったことは確かですが、でも、『こんなものか!』で、それぞれ個性的に育ったのです。
時々、幼かった頃のことを、空になった巣の中で思い出しています。小さな車に子どもも荷物も積み込んで、山越え、川越えて、あちらこちらと出掛けたのです。教会のキャンプや聖会や修養会は楽しかったです。同世代の子どもたちが一堂に会し、同じ信仰に生きる家庭の子たちの交流は、彼らに大きな励ましだったのでしょう。
二度と帰らない貴重な日々でした。時々呼んでくださった宣教師さんの家のたたずまいも思い出します。窓から入り込む、木の葉の動きで揺れる木漏れ日が、受け入れてくださる家族の温かさと相まって、どんなに慰められ励まされ強められたことでしょうか。
彼らは、” Do for otehes “ の夫妻でしたし、次世代の子どもさんたちも同じ思いと行動の生き方をされておいでです。私たちの子よりも上の世代のお子さんたちと、わが家の子たちとの間に、交流が続けられているのも感謝なことです。
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