謝らない謝罪

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 『それは、わたしが、あなたの行ったすべての事について、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出して、恥を見、自分の恥のためにもう口出ししないためである。──神である主の御告げ──(エゼキエル1663節)』

 「謝らない謝罪」と言う言葉を、今回初めて聞きました。” News week "の記事にあったのです。「謝罪」の様に聞こえますが、全く謝罪になってなく、自分の言ったこと、したことの正当性を、婉曲な方法で言い張っている様です。

 英語ですと、” non-apology “ “ non-apology apology “ という言葉dだそうです。日本語に訳すと、「謝らない謝罪」とか「謝罪なき謝罪」などとなるそうです。(オックスフォード大学出版局などが運営する辞書サイトのレキシコを見ると、次のような意味の言葉として紹介されていた。『謝罪の形式を取ってはいるものの、侮辱や怒りを生み出した原因に対する責任や後悔を認めることにはなっていない声明。』)

 政治家やお役人など、社会的な責任のある方が使う便法でしょうか。何例かを上げていますので引用してみましょう。

[1] 5月、外国人労働者が働く農家に対して、「外国人と一緒に食事をしないように」などと記した文書を配布した茨城県の保健所のコメント。

「差別する意図は全くありませんでしたが、誤解を招く表現があったとしたら申し訳ありませんでした」

[2] 3月、自分の目の前で国会答弁に立つ総務省幹部に、「記憶がないと言え」と発言したことについての武田良太総務大臣の釈明。

「誤解を与えたのであれば申し訳ない」

[3] 2月、辞任表明の際の森元会長の恨み節。

「まあこれは解釈の仕方だと思うんですけれども(中略)私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思いますけれども」

[4] 昨年12月、政府が「会食は少人数に」と呼び掛けている最中に、自民党の二階俊博幹事長らと8人程度で会食をしていた,菅義偉首相の弁明。

「国民の誤解を招くという意味において、真摯に反省している。」

 小学校の頃から高校まで、流石に大学ではありませんでしたが、何度も職員室に呼び出されて、反省、謝罪、始末書書きをしてきた私は、『先生を怒らせてしまったことは申し訳ありませんでした!』なんて言いませんでした。したことの悪や過失を認めて、『ごめんなさい!』と言いました。ですから、軽い気持ちではぐらかせたりしませんでした。ですからその都度、教師は赦してくれました。

 みなさんは狡猾なのです。言ったこと、したことを反省しないのです。体面と立場を危うくするからです。よく自動車事故を起こした時、『あなたが悪くても、謝ったりないこと。保険の査定で不利になるから!』と言われます。自動車の陰から出てきた自転車を運転していた女子高生を突いて倒してしまったことがありました。

 怪我をしたので、すぐに病院にお連れして診てもらい、処置をしてもらいました。軽症でした。警察にも経緯を説明しました。自転車の修理、衣服の弁償をしたのです。悪かったのは私だったからです。

 『ごめんなさい!』、これは言うのが一番難しいのです。人は頑固だからです。叱られ慣れた私は、いじけもしませんでしたし、誤魔化しもしませんで、素直なのでしょうか、すぐに、『ごめんなさい!』と言える、これは特技なのです。中国にいた時、日本人の知人に、『ここでは、ごめんなさいなんて言うと馬鹿にされるから言わないほうがいいよ!』と注意されました。でも、こちらがいけないなら、私は謝ったのです。

 でも、一番の謝罪は、天と地の万物の創造者、私をお造りなられた神に、「悔い改め」をしたことでしょうか。そんな私のために、キリストは、「弁護者」となってくださるのです。

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