言い表せない喜び

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 「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ53章3節)」

 明治8年4月に「勲章従軍記章制定ノ件」が公布され、私たちの国の勲章制度が始められていると言われています。国に貢献し、功績を挙げた人たちを表彰するためでした

 私が中高と学んだ学校は、大正デモクラシーの動きの中で誕生した、穏やかな校風の私学でした。この母校の記念誌が刊行された時に、その巻頭に、設立者で校長の写真が載っていました。なんと、胸いっぱいに、数え切れないほどの「勲章」を下げておいででした。ご自分でそうされたのか、家族か学校の役員に勧められたのか、まさに〈勲章男〉でした。

 〈教育者と勲章〉は不釣り合いの感じがして、ページをすぐに閉じてしまいました。私も教育者の端くれでしたから、教師の勲章は、錦糸銀糸の紐のついたメタルではなく、《教え子》ではないかと信じていたのです。社会の中で、家庭人として、職業人として、目立たなくてもよい、一市民として謙虚に生きていることだと思っていました。ですから、〈勲章の校長〉は、とても意外でした。

 私の霊的な恩師たちは、『金と名誉と異性を求めるな!』と、口を酸っぱくして教えてくれました。そんな誘惑に負けそうな私の弱い資質を見抜いたからかも知れません。としますと、『名誉や勲章を求めずに生きよう!』と願ったのでしょう。

 若い頃の父の写った、父の親族との集合写真の中に、帝国海軍の軍人がいて、この方も勲章男でした。どうも軍人も、二十一世紀の政治家も、勲章を得た誇りを大切にしたいのかも知れません。『俺は、この国に、この団体に貢献したんだ!』という自慢(中国語は〈自誇zikua〉)の表明なので、名誉職を求めてやまないのです。

 五十年以上、この私が従い仕えて来たお方は、蔑まれ除け者にされたお方でした。一冊の本も著すことなく、高き座を求めず、王冠も勲章も与えられませんでした。かえって十字架で刑死され、他人の墓に葬られたお方です。でもその墓を破り、死を破り、蘇られたのです。今、創造の神の右の座に着座され、信じる者を執り成し、助け主である聖霊を遣わされ、信じる者を迎える場を設け、やがて迎えに来てくださるお方だと、不信心だった私は信じられたのです。

 この分だと、勲章はおろか、ビールの蓋の偽勲章でさえも、私は貰えることなく終わることでしょう。でも《神国の市民権》を得たことは、言葉では言い表せない喜びで、今朝も心が溢れています。

(” photoAC “ の「毛嵐〈けあらし〉」です)

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