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去年の秋、台風19号で罹災した私たちは、ご好意で、高根沢に避難所を得て、三週間弱、見ず知らずの街に住んだのです。実に親切にしていただきました。慌わてて避難して、常備薬の降圧剤を持って来るのを忘れてしまったのです。それで近くの町医者を訪ねました。親切なお医者さんが、いつものよりも等級の高い薬を投薬してくれたのです。
また近所に、餃子の有名店の支店があって、何度か食べに行ったのです。退院後、それまで餃子を食べられなかった家内が、美味しくそれを食べたのです。北京の繁華街の「王府井wangfujing」に住んでいた方が、戦後帰国して、宇都宮でお店を開いたのが、「珉珉minmin」と言う餃子屋さんでした。その支店です。北京の隣人仕込みの製法で成功して、宇都宮市民に愛され続けているそうです、美味しく安いのです。
またパン屋さんに、私たちの好きな「ベーグル」が置いてあって、ここも何度も出掛けては買って帰りました。餃子にしろベーグルにしろ、安く売られていて、驚かされたのです。また、「1000円散髪」の理髪店があって、家内と私が髪を切っていただきました。客扱いが親切で、感動的でした。
あのまま住み続けたいほどの好印象を、その街で得ていましたが、今の家を契約していましたので、栃木に戻ったのです。玉に瑕(きず)は、宝積寺(ほうしゃくじ)と言うJR宇都宮線(東北本線)の駅から避難所が遠かったことです。一度だけ、家内の通院のために、電車を利用し、駅からの往復、タクシーを使ったのですが、あとは歩きでした。
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あの時ほど、しかも雨の日に、運転できないもどかしさを覚えたことはありませんでした。滞華の間中、帰国時に、車の運転は2、3度しかしていませんでしたので、免許証の更新をせずじまいでいました。その未更新を悔やんでも〈後の祭り〉でした。そうしましたら、ここ栃木では、高齢者の運転手が多くいるのが分かったのです。なぜなら車なしでは高齢者は、こちらでは生活できないからです。
足元のおぼつかない方が、車に乗り込んで運転しておいでなのです。それを見続けて、まだ小走りできる私は、家内の通院のために、車で送り、迎えできないことが残念で仕方がなく、申し訳ないと思うのですが、家内は大喜びなのです。長男が、通院のたびに車で来てくれ、送り迎えをし続けてくれているからです。さらに夫が運転事故を起こさないで済むのも、ホッとしているのです。
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ここまで書きましたら、隣に住んでいた方が、イオンの近くに家を買って越して行かれたのですが、『お世話になったので、改めてお挨拶に来ます!』と言われていたのですが、この午後に、泉輝くんと、ここで生まれた涼音ちゃんを連れて、ご夫妻で律儀に挨拶に来られたのです。なんと、“ GODIVA ” のチョコレートを持って来てくれました、すごい!
宝積寺駅からの道の脇に、紅く熟した「烏瓜(からすうり)」が垂れ下がっていて、運動会の徒競走に出る時、それを足のふくらはぎに塗り込んで走ったのを思い出したのです。けっきょく、二人の兄も弟も足が早いのに鈍足の私には効果がありまでんでした。でも最後まで走り切ったのです。あと何年かは生きられるのですが、ふくらはぎにつけるのではない、走り抜く心の脚力を強める、妙薬を見つけていますから、大丈夫でしょう。
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